絶対的な価値
異文化コミュニケーションを研究していると、価値観の葛藤を感じます。
「私たちの価値観は正しい」と、言い切ることができるか?
その価値観とは「唯一、不変の絶対的な価値観でしょうか?」
たぶん、私を含めて「正しい価値観を持ちたい」とは思っても、「私の価値
観は正しい」とは言い切れないないでしょうか?
さらに、年齢と共に価値観が変わることだって多々あります。歴史的に見て
も、様々な宗教が枝分かれして時には争い合うことからも、「不変の絶対的
な価値観」などありえないものです。
ところが、世界では、マジョリティの価値観が、マイノリティの価値観に、
自分たちの価値観を押し付ける傾向があります。
人権は重要で、自由が保障され、差別もなくさなくてはならず、環境維持も
真剣に対処する必要があると私個人として納得のいくことですが、その価値
観をそうでない人たちに強制的に押し付けることが果たして正しいのか?本
当にこちらが「正義」でそれ以外が「悪」であると言えるのか?
常に冷静に考える必要があります。
なぜならこれを「個人」ではなく「国家」に置き換えると、「正義」のため
には「悪」を倒すというロジックになり、戦争の大義名分にさえなってしま
うからです。
気が付いてみれば、正しい方には「義」という言葉が付き、悪い方には付い
ていません。「悪義」という言葉を私たちは(一般的には)使いません。
歴史を見ると、正義を掲げた者が勝者になるとは限らず、「悪」と評された
者が勝つことだってあるのですから、神様は私たちを正義に導いてくれてい
るとは言えないのかもしれません。
私たちは「正義」であるからと、奢ってはいけない。それが神様の教えなの
かもしれません。
島崎ふみひこ
異文化コミュニケーション研究所(R)
日本企業のダイバーシティ教育、高度外国人財の採用・活用