危うい市民活動へ
市民団体のような、一つの目的に対して皆が自主的に集まる場合、どうして
も人によって「温度差」が生まれてしまいます。
ある人は「相当な時間」を使い、ある人は「使命感に燃えている」。でも一
方で「時間があればやる」程度だったり、「責任までは負いたくない」と考
える人もいる。
また本当は「自主的な集まり」だったにも拘わらず、いつの間にか義務化さ
せられて気持ちが乗らなかったり、集まること自体が楽しくて、自分の頭で
考えなくなることも良くあります。
共に力を合わせて問題解決に臨むことの難しさが、自主的な市民団体にはあ
ります。
私たちは、正義を旗印として掲げがちですが、正義はとても脆いものです。
それぞれの立場で、正義の定義が異なってしまうからです。そして逆の立場
の人から見れば、その正義は「悪」になるという危険性もあります。
とても重要なことは、全員で『誰のため』なのかを常に意識することです。
人は、目に見える誰かの為なら、自分の命でさえ投げ出して救い出そうとす
る生き物です。
ですから、強制力を持たない自主的な活動で成果を出そうとするのなら、温
度の高い人も、温度の低い人も、等しく『誰のため』なのかを常にリマイン
ドしながら、進むことが大切です。
困難を乗り越えるために必要な、勇気と決意を得るために。
島崎ふみひこ
異文化コミュニケーション研究所(R)
日本企業のダイバーシティ教育、高度外国人財の採用・活用