コラム

1. 異文化コミュニケーション研究所®が考える『未来志向型の日本的経営』

ホームページ開設に添えて

私たち日本人は日々の生活において、直接的に外国を意識することはありません。しかし、ご存知のように石油、ガス、そして食材の輸入なしに私たちは生活できません。そして実は、今では日本の人口の2%は在留外国人です。また戦後日本は、加工貿易大国として経済成長してきたのですから実質は外国と密接に関わっています。

…そんなことは、誰でも知っていることです。しかし、なんとなくは感じていても、多くの日本人は心の中に日本と外国を無意識に『区別』し城壁を築いている。

これから先、私たちが時代に逆行して鎖国をすることは考えられません。むしろより海外との交流を深め、世界における日本のプレゼンスを上げる必要があることに異論はないでしょう。

統計的に、日本の人口は減少しつづけます。これは、日本の経済が徐々に萎縮することを意味します。つまり、日本を市場として捉えている企業の生存競争は段々激しくなり、生き残りが厳しくなっていくことを意味します。そこで企業が生き残るための施策に、より海外を意識することは、選択肢の大きな一つになることでしょう。

その際には、「外なる戦略」と「内なる戦略」が必要です。

いくら海外展開をして「現地化」を目指していても、日本国内の本丸が、日本人マインドのみで仕切られていたら、いずれバランスを崩してしまいます。

大手企業では、取締役に外国人の名前が載っていることが多くなりました。それは、日本人のマインドだけでは、世界を相手に仕事ができないためです。また近年、日系企業でも徐々にですが一般職として外国人が採用され始めています。つまり国籍や背景の文化に関係なく、優秀な人材を「日系企業」が採用するようになってきていることを意味します。

このような背景において今後企業は、国内であろうが海外であろうが、異文化間におけるコミュニケーションが重要になることは明らかです。ビジネス環境の変移は加速度的に進んでいます、昔を懐かしがる余裕はありません。

明確に予測できる未来に対して、今から手を打つ必要があります。すべての会社にとって、人(従業員)は要です。異なる文化背景を持った人たちが交わるから起こるマイナスの問題。異なる文化背景を持った人たちが交わるから生まれるプラスの変異。共にマネージすることが重要になっていきます。

日本人の思考と日本語

思考は言語によって行われます。つまり語彙数の多い人ほど、思考レベルが高く、深く思慮ができる。私たち日本人は、漢字、ひらがな、カタカナを必要に応じて使いこなし、微妙なニュアンスを伝えます。また敬語も複雑です。敬語とは上司、先輩、先生、親等、目上の人に対して使う言葉遣いです。逆に言えば「目下」の者に対しての言葉遣いは日本語には存在しません。

私たちの思考は、私たちの使う「日本語」という言語の特性に大きく左右されています。思考は文化の源です。ある意味、私たちの文化は「日本語文化」なのです。

よく海外の企業では、上司から解雇を言い渡されると2時間以内に退去することが求められるといいます。最近は、日本の外資系企業でも同じようなことがあるらしいですが、基本的にそれが受け入れられるのは「英語文化」があるからで、「日本語文化」の企業の場合には到底受け入れられません。

英語で考えると、従業員の雇用はとてもドライなものになります。ところが日本語で考えると、いろいろな感情や機微が現れてきます。なぜならそういう言語だからです。

今から約25年前、とある日系企業海外現地法人で打ち合わせをしたことがあります。その際、イギリス人も打ち合わせに参加しました。相手はお客様です。日本語であれば、敬語を使い、顔色を見ながら言葉を慎重に選び交渉をすることになり、説得することはとても難儀だったはずです。しかしイギリス人がいてくれたおかげで英語で交渉を行うことができたため、明確に相手の要求に対してNOと言った後、論理立てて提案をすることができました。相手の日本人も英語で思考しているときには、論理的にそして対等な立場で交渉に臨んでいました。

もちろん打ち合わせが終わった後には、日本語でご挨拶しますので、「先ほどは大変失礼いたしました」と、相手の立場を慮る言葉を敬語で伝え、無礼を謝罪を含めながら丁寧に応対して事を収めました。つまり使う言語により思考の仕方も変わるのです。そして、その思考は文化の源になる。

日本語の文法と思考

日本語は「空気を読む」必要のある言語です。

ご存知のように、動詞を最後に持っていく言語が日本語です。つまり、最後の最後まで言葉を聴かないと意味がわからない言語でもあります。

私はあなたを…..。

と言われると、人によっては「愛しています」と想像したり、「憎んでいました」と想像したり、まさにさまざまです。

最後の言葉を聴くまでのほんのレイコンマ何秒という間、相手の顔色や、場の雰囲気を感じ取ること、つまり「間」を読む必要がある、そんな言語が日本語なのです。

そのため、わざわざ言葉にしなくても相手に意味が通じてしまう、海外の人からすれば不思議な現象がコミュニケーションの中で繰り広げられています。

日系企業である場合、日本語を使うのは当たり前です。そこに異文化で他言語を話す人が入り共に仕事をする場合、なぜ私たちのこの日本語からくる文化を理解させなければなりません。そして、それと共に私たち日本人は、彼らの言葉が「空気を読む」間(ま)のない言語を使っていることも理解していなければなりません。

そうすることで、その「間(ま)」の有無から生まれる摩擦は軽減されます。

私たちは、日本人の言語『日本語』に誇りを持つと同時に、この言語のすばらしさを世界に発信するくらいの意識を持つべきです。それをすることで、実は「英語アレルギー」の人は減っていきます。なぜなら、自分の言語が優れているという気持ちが持てるからです。そして別の言語を持つ異文化の人に対して、妙な劣等感を持たずに会話ができるようになれる。

たとえば、「雪がしんしんと降る」という言葉。

このしんしんとは、深深と書き、ひっそりと静まりかえっているさま。奥深く静寂なさまをさします。つまり、日本語では音のないものに音をつけてしまう。それだけ繊細に自然を見つめ、慈しむ日本語を生んだ日本人。誇ってよい文化です。

日本で働く外国人従業員(Global Force)は、異文化の環境に育ち、異なった言語を使います。そのため、私たち日本人の背景にある日本語という言語に裏打ちされた文化を知らずにいます。くどいようですが、それらを丁寧に教え、理解してもらうことが何よりも異文化コミュニケーションには大切です。

海外戦略における意識改革

古典的なグローバル戦略の基本的な考え方は、ある製品を作り、ある地域(国)で販売する。ある程度その地域で売れたら、その製品を低グレードなものに作り直し、発展途上国向けに安い価格で販売していくというものでした。

それはそれで成功してきた。なぜなら、彼らは比較にならない程貧困であったこと、ある意味「味よりも量」を求めていたからです。

ところが、現代の先進諸国は自国のマーケットの成長性に翳りを感じ、その代わり発展途上国を「成長市場」と考えるようになってきました。そのためそれらの発展途上国に投資をし、経済成長を後押ししてきました。元々、経済規模が小さな国ですので、その影響はすぐさま一定の層の人々の所得を増やし、徐々に購買意欲が高まってきました。さらに最近のITの進歩により情報がほぼ世界中で均一化されてくると、それぞれの地域(国)における「趣向」が現れるようになってきました。

その「趣向」は、地理、宗教、文化、気候等の背景が複雑に絡み合い、遠くで見ていては、その現場の実情はまったくわからない。

グローバル化というと、すべてが均一化されたかのような錯覚を受けますが、それを語る人が、現場から遠く離れ、遠くから眺めているからです。実はさまざまな色がランダムに入り組んでいる。

その事実を明確に認識することが、今後の事業展開には求められています。

つまり、それぞれの地域(国)に向けて、商品もサービスも「最適化」されることがより大切になり、単純に物さえあれば売れるというものではなく、先進国と同様に発展途上国でもお客様に喜んでもらえないものは、売れないということになります。

一般的に海外戦略を行う場合「現地化」すると言いますが、「どの部分」を現地化するのでしょう?製造ですか?販売ですか?設計ですか?人事ですか?….

そして親会社の日本企業は、どのように「現地化」した先を、管理、運営していくつもりですか?

その答えは、それぞれの会社がどのような背景、歴史、人材、製品(サービス)、資金等々を持ち、何を求めるのかによって千差万別になりますが、多くの会社はその「現地化」の定義が不明瞭なまま突き進み、多くの問題を抱え、場合によっては撤退を余儀なくされます。

まずは会社にとって「現地化」を明確に定義することが重要です。

そして、その定義が明確になったら、最良、最善、最大の結果を生み出すための「意識改革」が必要になります。

『海外戦略には「現地化」が重要なのは理解できるが、なぜその上「意識改革」まで必要になるのか?』と疑問に思われるかもしれません。しかし、実は会社の「意識改革」なくしては海外戦略の成功はおぼつきません。

なぜ「意識改革」が必要なのか…。その最大の理由は、私たちは外敵から隔離された非常に恵まれた日本という環境の中で、日本民族独特の進化をしてきたことにあります。ガラパゴスジャポンです。

私たちが「海外」という言葉を使う場合、漠然と「日本以外の国々」を一まとめに考えています。つまり、「日本という国」と「それ以外」です。しかし、現実には「それ以外」の中には、多くの民族、多くの文化、多くの人種、多くの言語があるのですが、私たちはそれらをすべてひっくるめて「海の向こう」と考えてしまう。

実は、それが日本人の「国際ベタ」の最大の原因なのです。

それゆえに、時として日本人は奥手で、引っ込み思案だったり、外国語を操って交渉することが苦手だったりする。

このような状況を打開し、未来志向の日本の会社を築き上げるには、初めに私たちが変えなければいけないのは、「日本文化は特別、独特である」という自意識をなくすことです。日本の文化も、他の地域の文化も、優劣も上下もなく、すべてが特別で、すべてが独特なのです。日本文化だけが特殊なものであるという発想を捨てなければなりません。

そして、そこから異なる文化を認識し、対等にその「差」を意識する。その「差」を意識さえすれば、最適な解になるかどうかは別ですが、最悪の解になることはありません。

さらに言えば、外国の人たちを日本の会社において「現地化」させることが、これからの日本の会社の課題にもなります。

日本の労働者人口は、毎年40万人ずつ減少し、2060年までに1,170万人減ると予想されています。ちなみに、日本第二位の都市横浜市の人口は約370万人ですから、約9年で横浜に住んでいるすべての人たちと同じ数の人たちが働かなくなるのと同じです。また、人口自体も2030年までに1,000万人が減る。

労働者は、小さなポンプのようなものです。給与を貰い、それを使う。お金を回すポンプです。それが、日本経済を回しているのです。つまり、労働者が減れば経済の規模が縮小していくことになります。また拍車をかけるように、年金生活者となった彼らの生活を支える負担を、少ない労働者が背負うことになるのですから、日本経済はダブルパンチを食らったのと同じです。この事実を明確に意識しなければなりません。

労働力を補うという目的で移民を受け入れよう!などということは言いませんが、少なくとも優秀な外国の人たちが日本で一生懸命働き、幸せに暮らすことで、日本の経済を回すポンプの役割を担ってもらうことは、マイナスではありません。そして、日本の会社をより世界貢献できる器に成長させる。

これは、海外戦略の一環としても考えられます。
進出したい国の優秀な人を雇用し、日本で数年間共に働き、帰国後は現地の要となって働いてもらうこともできるからです。

意識改革により、環境に適応できる能力を高めなくてはなりません。

報酬

社会主義においては労働の対価は、仕事の質や内容に関わらず一定に支払われました。そのため勤労意欲は失われました。その対極にあるのが「成果主義」です。成果主義の場合、成果の上げられる人には無制限に報酬が支払われる一方、どのような事情であれ成果の上げられない人には少ない報酬しか支払われない。

人間のモチベーションを上げるのには「成果主義」は最適のシステムのようにみえますが、そんなに単純なものではありません。論理的にはそうであっても、そんなに簡単に人の世の中は整理できません。極端に言えば、注文を横取りしたとしても、成果を上げた人には報酬が支払われてしまう。また晩成タイプの人の芽を摘んでしまうことになったり、仲間同士で僻みや妬みを生むことにもなる。

日本人は農耕民族であると言います。農耕とは、狩猟とは違い、一人の力ですべてを完結することはとても難しい。多くの人が協力し合い、共に働き、収穫を待つシステムです。誰かが耕してくれたから、種を植えられる。誰かが水を上げてくれたから収穫ができる。その文化の上には、成果主義という発想はありません。一種「成果等分方式」とも言えます。誰かがサボることで一族が滅びることさえありえるのですから、皆が一生懸命働く。
「成果等分方式」には競争はありません。現代社会のように、勝ち残らなければ生き残れないのと違います。そのためいくらDNAが農耕民族だからといって、農耕民族的な発想だけでは生き残れません。

ましてや、これからはグローバル化に伴い、競争はさらに熾烈になることでしょう。その中で「生き残る」ためにはどうしたら良いのでしょう?

その一つの回答は「貢献度型成果分配方式」です。
収穫物を分配はするのですが、直接的に注文を獲得した人のみが成果として得るのではなく、同じ部署の仲間や、間接部門等とも分かち合うというものです。つまり、皆が多くの収穫を得るようにそれぞれの部署で努力するが、その分配は貢献度に基づくので誰もがモチベーションを持ち、貢献度が高い人に対しては、仲間からの僻み妬みではなく、賞賛が送られるものです。

特に、異文化を背景にした従業員に対しては、より詳しく理解をさせることが重要です。またそれが理解できなければ、従業員としては不適切な存在になってしまう。

日本に永住する考え方を持たない限り定年までの長いスパンで会社に貢献することを、海外からの従業員は考えません。つまり限られた期間の中で、より多くの報酬を求めることになります。そのため、モチベーションを維持し、組織の一員として協力的に働かせるためには、成果の分配の理解が重要になります。

人材確保

人材確保が企業の生き残りを左右します。優秀な人材が企業の未来を左右する。

日本が”Japan as No.1″ともてはやされていた1980年代。日本人は外国の人たちに”Economic Animal”だと揶揄されていました。それでも、戦後30年たらずで世界第二位の経済大国になった誇りが日本人にはありました。だから、ある意味悪い気はしていなかった。

そして、当時の日本人は「坂の上の雲」を追いかけるように、ただひたすらに山を駆け上っていたとも言えます。それは、所得を増やしたいとか、会社を大きくしたいとか、そんな明確な目的地はなく、働くこと自体が幸せだった時代だったともいえます。

“Success is not the destination. Success is Journey.”

当時の日本人は、お金を目的にはしていなかった。働けばより多くの収入が得れるという喜びがあった。

働くとは、楽しいことです。労働が苦役なら、世界中の大人は全員が不幸ということになるでしょう。働くことで自己実現を果たし、社会貢献をし、人の役に立ち、新しいものを築き上げる。そして、働くことで家族を養い、子供に教育を施し、生活の安定を得る。働くことは未来を切り開く手段なのです。

人は材料ではありません。つまり「人材」は誤りで「人財」です。
材料は使うものですが、財は築き上げるものです。

会社の持つベクトルに共感し、共に働く意思を持つ人であれば、日本人だけにこだわることなく、優秀な人財を登用し、育む。それがこれからの時代必要になっていきます。

優秀な人を確保するために、高待遇はモチベーションをアップする一つではありますが、それは「人財確保」には繋がりません。待遇が帰属意識を高めるはずはないのです。

これからの「人財確保」のためには、かつての”Japan as No.1″だった頃の日本と同じように、はるか彼方に見える目的に向かってがむしゃらに走る「強いリーダーシップ」と、「くじけない目的意識」を経営者が持つことが何よりも大切です。

2015年1月1日

異文化コミュニケーション研究所®
所長 島崎ふみひこ