スマホと生きる世界
電車の中で新聞を読む人が極端に減った気がします。スポーツ新聞を開いて
いる人も少ない。その代わり、スマホを食い入るように見ています。
どこにいても、いつでも、スマホを窓口にして、公表されているすべての情
報にアクセスできるのですから、すごい世の中になったものです。以前は、
図書館に行かなければ調べられないようなことも、簡単に調べられる上、ど
んなに相手が偉かったり、遠方にいたりしても、直接連絡を取ることができ
ることも、以前だったら考えられないことです。また、情報は瞬時に世界に
広がる。
ただ、これは『以前』を知っているからこう思うのであって、『以前』を知
らない人にとってはこの便利さが前提になって生活をしているので、こんな
話をしても理解しているようで、理解できないのでしょう。
私の子供の頃は、お正月のおせち料理は各家庭で作っていました。その手間
たるや、相当前から母親が準備していたのを記憶しています。でも、今では
スマホからネット注文すると、自宅にまで冷凍保存されて届き、一日室温に
置くと美味しく頂ける。
でも、これらの現象は、私たちがどんどん実社会から遠のいていることを意
味しています。
おせち料理を自分で作れる若者がどれだけいるか?その苦労を知らない。
スマホで簡単に調べられることで、さまざまな知恵を絞って情報を収集する
苦労を知らない。
人は体験をしなければ「勘」を掴めません。
どんなにビデオを見ても、車の運転も、楽器の演奏も、出来ないのと同じで
す。
今の『当たり前』の世界で生きる人と、『以前』の経験をしている人とでは、
根本的に考え方が違います。
それに、デジタルツールは、一人用です。つまり、生身の人間と交流する機
会を極端に少なくしている装置です。そのため、生身の人間とのコミュニケ
ーション力が極端に落ちている。
人類史上なかった世界です。
ただ、コミュニケーション力が落ちていると言っても、それは今までのやり
方によるものと違うということであって、「繋がり」という意味だけでいえ
ば、とても広い繋がりを持っているのが今の世界の人たちですから、嘆く必
要はないということだと思います。
さて、それでは、そのような人たちを使う立場の人たちはどうすれば良いの
でしょう?過去のやり方では通用しないことを覚悟して、相手(変異した新た
な人類)に合わせて対応を取ることが重要です。
留学生たちは、テレビを持たず、母国とスマホで常につながっています。そ
んな留学生が、いくら日本に長く住んでいたとしても、『日本人化』して日
本企業が使いやすいと思うこと自体を止めるべきです。確かに、彼(女)ら日
本には慣れていますが、企業が期待している形態とは違います。
高度外国人財を活用する上司は、逆に、スマホだけでどうやって彼らとコミ
ュニケーションを取ったら良いかという視点から考え直してみて下さい。何
か見えてくるものです。
島崎ふみひこ
異文化コミュニケーション研究所(R)
日本企業のダイバーシティ教育、高度外国人財の採用・活用