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何をやっても駄目

半世紀以上も生きてきて、振り返ってみると自分の思った通りになったことなど、期待通り、計画通りになったことなど、ほとんどなかったような気がします。

ただ幸運だったような気がします。だって、こうやってなんとか生きている。

(笑)

事業を行っていて特に感じるのが「きっとこうに違いない」と思い、かなりの時間と労力を掛けて準備をし、一生懸命、本当に一生懸命頑張っても思った通りになど「全くならない」。(能力がないのかもしれませんが…)

それでも、これが足りない、あれをやってみよう、それでもやってみよう、…と思いつく限りのことを実践してみます。でも、これが笑っちゃうほど、

今回もダメだった(悪かったというのではなくて、成果が出なかったという意味です)となることばかりです。よく、凹みます。

それでも、ちょっと時間が経って気力が戻ってくると、チャレンジを繰り返している自分がいます。

正直、何をやったら良いか分かりません。

でも、不思議なのですが絶望は感じないのです。不思議と、生かしてもらっているという、なんと表現してよいのか分かりませんが、幸せ感があるのです。

たとえば、開いた本に書かれていた文章が私に飛び込んできて、「あ!もう一度別のやり方でやってみよう」という気力が湧いてくるのです。

アホなのかもしれませんが、人生ってそういうものなのかもしれません。

元々、何か大きなことを期待している自分が愚かなのかも知れません。

ただ、神様がくれる時間と、神様が見せてくれる可能性に向かって、一生懸命進むこと自体が、私たちがこの世に存在する理由なのかもしれません。

もう手がない…と思っても、お腹周りに肉の付いた「太った」私がいるのです。どうみても、餓死寸前には見えません。(笑) ちょっと休んでみればまだ体力もエネルギーもある。本を開けば、多くの示唆があり、テレビを見ても感動するものがあり、友達と話せば不思議と介助されたような気になっています。

うまくいかないことばっかりで、何の成果もないようでも、振り返ってみれば、登山と同様、一歩、一歩は進んでいる。自分の足元に何か「埃程度かもしれませんが」何かが積もっていて、ちょっとだけ高いところにいるのかもしれません。

島崎ふみひこ

異文化コミュニケーション研究所(R)

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