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OJTという名の放置

誰がこの言葉を考えたのでしょう?

OJT, On the job training. カッコいいですよね。

これを私が再定義してみると「現場主義で、経験から学ぶ」ということになりますが、どうでしょうか? それぞれの個人が、現場で遭遇する課題を、先輩の教えや、自分の知恵で乗り越える…。これは素晴らしい考え方です。

でも、これでは個人、個人経験できることが異なるため、会社の「教育システム」として、必要ではあっても十分であるとは言えません。また、取得して欲しい技能や、解決思考のレベルも、個人の経験だけに頼るため、場合によっては「誤った判断」や「表だけ繕う人格」を助長することにもなりかねません。

会社が、OJT教育という言葉を使う場合に準備しておかなくてはならないのは、目的を定め、何を、どの程度、どの期間で習得させるのかを、事前に明確にして、それを評価する仕組みを作り、必要に応じて適宜補完をする体制を整えることです。

特に、高度外国人財の場合には、OJTではなく、徹底的な教育が必要です。

日本人は、周りを見ながら成長する「クセ」を子供のころから染み込まされているため、OJTという名の放置でも、それなりに(たとえ『どんぐりの背比べ』 程度であっても)成長していきますが、多くの外国人の場合には、放置状態のOJTでは、理解が出来ず、段々気持ちが萎えてしまうからです。

日本企業の場合、たとえ社長同士の交渉であっても、「一度、社に戻って検討してから結論を出します」と決定権を持っているとは思えない返答を平気で行います。つまり決定プロセスが不明瞭で、その判断基準も不明瞭なのが日本企業の特徴です。私から見ると「悪しき慣習」です。みんなで決めることのメリットは、確かに多くの叡智を集めることはできる反面、人の顔色を見るばかりで、問題が起こると自分が決めたことではない、みんなで決めたことだという「責任者不在」を産みやいものだからです。

多くの高度外国人財の場合、自分で考え、自分で責任を負うという考え方を持っている人が多く、能力があり、キャリアアップやより高いレベルの仕事を望んでいます。そんな優秀な人財にとっては、このような日本企業は「ぼんやりした会社」に見えてしまいます。それでは嫌気がさしてくるものです。

是非、貴社のOJTを見直して下さい。必要なら、お手伝い致します。

島崎ふみひこ

異文化コミュニケーション研究所(R)

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日本企業のダイバーシティ教育、高度外国人財の採用・活用