第3話 こちとら、日本人だい!
幕末、勝海舟が咸臨丸でアメリカに行ったころ、日本人が英語を流暢に話せたなんて思えないでしょ?なんせ、勝海舟自身だって、生計を立てるためにオランダ語を教えていたとき、ある生徒に「先生よりもっとオランダ語のうまい人がいる」って言われ、「そいつを紹介しろ」って、自分の学校の先生にスカウトするくらいだから、いわんや英語なんてレベルが知れている。
でも、当時の日本人が英語を話すとき(外国人と話すとき)躊躇していたとは思えないでしょ?武士のプライドがあったからね。独学で勉強した発音を駆使して、どうどうとコミュニケーションをとろうとしたはずだ。
祖父母が明治時代にアメリカに移住した、とおっしゃる方とお話をする機会があったのだけど、いろいろと話をしている内に、大変驚いたことがある。それは、日本の武士に対して、当時アメリカでも尊敬の念がかなりあったということだ。文武両道で、礼儀正しい、そんな文化を持った人間に対して、言葉の違いを越えて「礼をつくした」なんて、なんと素晴らしいことだろう。
太平洋を隔てて、西洋文化と対極にある東洋文化。情報の少ない当時、アメリカ人にとっては理解しがたい文化だったろうに、武士の文化に対して尊敬の念を持てるアメリカの「懐の深さ」がぼくはとても好きだ。もちろん、当時の移民の人達の生活は楽ではなかっただろう、それでもきっと祖国の誇りに満ちて日本人の名に恥じないように努力をしていたのだろうことは容易に想像がつく。彼らはきっと英語を流暢に話せなかったろうけど、きっと何か通じるものがあったに違いないよね。
言葉なんて、要はコミニュケーションのツールの一つでしかないんだ。
会社に入ってから、大きな展示会(以前はよく晴海でやっていたけど、今は幕張メッセや、東京フォーラムとかでの展示会をイメージしてほしい)に説明員として立っていると、外国人が近寄ってきて、英語で質問してくるケースが多い。そんなとき、英語に自信のない人は「あたふた」して、英語の出来る人を探しに回るのだけど、僕はこれっておかしいと思っている。
だって、ここは日本で、この国の公用語は「日本語」なのだから、この国に来て日本語で話す努力もせずに英語で話し掛けてくる方がおかしい。自信を持って、まずは「日本語で」挨拶をすべきだ。その方が、あたふたしているよりも、立派に見えるものだ。そんなに、英語が話せないからと言って自分を卑下する必要なんてないと思う。その後に、「ジャストモーメント」と言って英語の使える人間を呼べばいいんだ。これって、国際社会ではとても重要なことだと思う。
ただ、英語はアメリカやイギリスの言葉としての意味合いではなく、エスペランド語(ポーランド人の医者が創案した人工的な国際語。世界中の人がコミュニケーションをとるための共通補助語。全然普及しなかったけど…)的な要素を持ち始めているから、英語で話し掛けてくる方も悪気があるわけでもないんだけど、問題はそれを受け止める私たちにあるんじゃないかと思っている。「英語さえ判らないおろかな日本人」と自分のことを卑下するのは止めようじゃないか!
幕末のころの日本人のように、自分の国の文化や日本語って言葉に自信を持っていればいいんだと思う。しっかり「日本語」で挨拶をする君に対して「このバカ!」なんて態度を取って帰るような外国人は、将来絶対いい客にはならないから、最悪そうなったとしても、「厄払いをした」と思っていれば十分だ。
もちろん、説明は相手が理解しなければ何の意味もないわけで、それを無視して話し続けることはナンセンスだけど、そういう気持ちで接すれば、単語だけ羅列させただけでも、結構相手に伝わるものだ。必要なのはプライドだよね。(^^)v
[1999年10月21日発行]