コラム

第24話 旅行 – 最後まで大変!

新年のスタートをアメリカの最南端の最南端、キーウエストの防波堤で迎えることができた私たちは、1月3日から始まる学校に間に合うために元旦中に現地を立つ必要があった。

約一ヶ月に及ぶ貧乏旅行もこれでお終いかと思うと感慨深いものがあったが、無事に寮に戻れることで、ホッとしていた。そして、何よりも戻ったら食事の心配がいらないということが嬉しかったりした。旅行の間はやはりお金と相談しながら、なるべくカロリー&栄養価の高い安いものを食べていた。

でも学校の寮に戻ればそんな心配はいらない。何をどれだけ食べてもお金は同じ。これほど生きていく上で「食」が確保できていることが意味のあることだとは、それまで分からなかった。そう思うと、若いうちに貧乏旅行をすることって本当に価値のあることだと思うね。食のある安心感、帰れることが嬉しかった。

さて、北から南までの旅行をすると、南ではどうしても冬用の荷物が邪魔になる。そこでキーウエストに到着した私たちは、少しでも荷物を少なくするために、バス停のロッカーに荷物を入れていた。それでも、やはりかなりの量の荷物を背中に背負っていたし、防寒用のブーツを履きながら「真夏」の地域を歩いたりと結構大変だった。

考えてみると、北では冷え性のため常に足先は冷え冷えしていたし、南では防寒用のブーツが暑くて紐をできるだけ解いてブカブカさせながら蒸れた靴を我慢しながら歩いていたりした。何とも、足元の苦労は大変なものだった。

また靴下や下着はそんなに枚数を持ち歩いていなかったから、バス停での待ち時間に普通の石鹸を使って手洗いをし、移動中のバスの椅子にひっかけて乾かすのだが、たった数時間の移動中に洗濯物が完全に乾くことがなく、いっつも半乾き状態を我慢して着替えた。

多分皆さんも一度は経験があるとは思いますが、半乾きの洗濯物って、どことなくジト~としてきもちが悪いのですよね。

さてさて、初日の出を見てから荷物を片づけて、昨日の寝不足でボ~としながら防波堤を後にし、ブーツをガポガポさせてバス停に向って歩いた。お昼前にはバス停に到着したが、ドアが閉まっていた。私たちは、何の疑いもなく、元旦だから開くのが遅いのだろうくらいにしか考えず、ドアの閉まっているバス停の待合室の前に、疲れに耐えかねて座り込んでうたた寝を始めた。

1時間ほどうたた寝した後、あることに気がついた。それは小さな張り紙だった。
それには、手書きの文字で「1月1日はバスはスケジュール通り来ますが、バス停(待合室)は閉まります。」と書いてあった。

?!?今日はバス停の待ち合い所は閉まっているって?
そのときに、初めて事実を知った私たちは、待合室のロッカーに置いてある荷物がなければ帰れないため、まずは必死になって建物の周りをうろうろして、どこかから侵入できないかすべてのドアや窓を確認した。しかし、残念ながらどこも開いていない。待合室の戸はガラスで出来ていたので、目の前にロッカーが見えているのに荷物が取れない歯がゆさに、イライラしてしまった。

しかし、最悪の事態だった。
だってバスのチケットはその待合室のロッカーの中だし、今日のバスに乗れないと学校の始業式には間に合わないし、ましてさっきまで「帰ったら飯が食える!」とぬか喜びした分、また寝るところと飯のことを考えるなんて、考えられなかった。二人とも、場合によってはここで「もう一泊」することを半分観念して、もうどうにでもなれ!とばかりに、笑いが飛び出したりした。

すると、やっぱり神様はいるものだよね。
前方から一台の車がやってきたんだ。その車の運転手は、待合室の前でごろ寝をしている私たちに声を掛けてきたのだ。マ~こちらには正当な理由があるのだから「荷物が中にあって、このままでは今日のバスに乗れないんだ!」と説明したところ、なんとその叔父さんここのバス会社で働いている人らしく、「分かった」と言って、家に戻って待合室の鍵を持ってきてくれたのだ。

嬉しかったね~、その時は。

荷物をロッカーから取り出した私たちは、再び閉まる待合室のドアに「サヨナラ」と思いを込めて、旅の終わりを感じた。マ~、後はバスに乗って帰るばかり。帰ったら、あの「まずい」と思っていた寮の飯がご馳走に思えて、ルンルン気分でまた十数時間の道のりを進んで行った。

本当に無事で帰れてよかった!

(旅の思い出のエピソード、まだちょっとあるので、これから何回か書きますね。お楽しみに!)(^^;)

[2000年3月16日発行]