第6話 アフリカからの留学生
このエッセイのテーマに「出合いの楽しさ」がある。別の国、別の文化、別の言葉、…出合う人、出合うものすべてが、新しい体験だ。たった4年間でも、そして特に特別なことをしなくても、多くの人に会うことができる。
そんな留学を、みんなにもどんどん経験してもらいたいと心から願っている。
どんなことがあったにしても、その出合いの一つ一つが思い出になり、その積み重ねが人生を作り上げていく。ぼくは、留学から十数年経った今ごろこうやって形にして読者のみんなに「ぼくの留学史」として体験を紹介しているけど、みんなもいつか自分史を作って、学生時代の思い出をかたちにして残してほしいと思っている。
アメリカで迎えた始めての冬、意を決して旅に出た。他の章でいくつかまた紹介するけど、ここでその一つ「出合い」のエピソードを一つ紹介したい。
それは、ワシントンDCのユースホステルで起こった。
ある夜、ロビーでゆったりくつろいでいたとき、たまたまヨーロッパ方面から旅行に来ているカップルとたわいもない会話をし始めた。すると、一人二人と、どんどん他の人達が集まって、最後にはロビーいっぱいの人がその会話に参加してきた。
ソファーに座れない人は、床に座り、またある人は壁に寄りかかって、会話を楽しんだ。普通なら、20人近くの人が集まれば、別々に会話するだろうに、何故か一人の人が話しているときに、他の人は話しを聞き、全員が一つのグループのようになっていた。
そして、フッと気がついてみると、全員が英語を母国語にしない人達ばかりで、国名までは記憶に残っていないのだけど、たしか出身は8カ国以上。それぞれの訛りの強い英語で、コミニュケーションしたのだ。
そのとき、ぼくはとてもうれしかった。
世界中のどこかでは、未だにして戦争があったり、民族紛争があったりと、悲しい出来事が起こっている。でも、こうやって一人一人が集まってくると、みんなけして特別な人ではなく、文化や言葉が違っても、人は人をいたわり合い、励まし合いながら生きている。それがとても嬉しかった。
そして、「英語という一つの共通語を使うことで、心を通わせることができるのだ」と、気がついた。日本の学校では、文法やら、試験やらで英語は「学科」としてしか教えない傾向が未だにあるけど、それがとっても残念だ。言葉としての英語は、本当は世界の人たちとコミュニケーションするためのツールなのに、学科としての英語に慣れてしまうと、試験結果を重視するあまりに、大切なことを失ってしまている気がする。
その場にいた人達の英語は、ぼくが聞いても酷いものだった。でも、全然平気で自分の考えや、自分の国のことを話しているし、それを誰も変に思わないでいる。それが、「世界標準の言葉」なんだとぼくは気がついた。
その夜は、2時間ほどみんなと会話を楽しみ就寝したが、興奮してすぐには眠れなかった。日本ももっと外国から人を呼び、一人一人の心のつながりを持てるオープンな国になってほしいと思う。そのためには、英語というツールが使えることが必要条件だ、文法なんて難しく考えずに英語を使うことに重点を置いた教育方針になれればいいとつくづく思う。
アメリカへの留学生は、日本人だけではなく、世界中のあらゆる国から来ている。もともと移民の国だけあってオープンだという理由もあるけど、度量が広いとつくづく感じる。
それぞれ、出身の国や文化で、行動様式も全然異なる。
基本的に、発展途上国から国費留学で来る学生は、非常に出来もよく、一生懸命勉強をする。ある中国からの留学生は、「国ではマクドナルドのハンバーグを一つ食べるだけのお金があれば、一ヶ月も生活ができる。だから、私は必要以外のお金はアメリカでは使わない。」と言って、一日中勉強だけをしていたし、その留学生は「国に帰ったらここで学んだことを、国のために使う。」と自信をもって話していた。
もちろんグウタラ留学生も多数いた。当時その連中は中東の学生が多かったのを覚えている。彼らは、発展途上国からの留学生だと言っても、母国は石油が出るため、とても豊かだ。そのため、国費留学とは言っても、選抜がそれほど厳しくないせいか、あまり出来のよい生徒はいなかったと記憶している。それに、イスラムの規律の厳しい国から、自由の国アメリカにくると、すべての「たが」が外れて、十分な軍資金を元に「飲む、打つ、買う」と高級スポーツカーを乗り回している連中が多数いた、まるで日本から来る「どら息子」のようだった。マ~、次第に学校から姿を消していったから、ドロップアウトしていったのだと思うけど、留学生にもいろいろなタイプがある。
ぼくが合った留学生で、非常に印象深かったのは、アフリカから来た留学生だった。彼らは、もちろん国費留学生で、非常に勉強熱心。他の学生がくつろいでテレビを見ている寮のロビーでさえも勉強をしていた。
ある日、寮のロビーでくつろいぎながらテレビを見ていたとき、そのアフリカからの留学生がやってきた。そして、いつものようにテーブルで勉強を始めた。たまたま、アフリカのジャングルの様子をテレビでやっていたこともあって、普段は集中して勉強をしている彼も、時折テレビをちらちらと見ていた。その時、ロビーには彼とぼくの二人しかいなかったため、彼は珍しくぼくに話しかけてきた。
「おまえは、日本から来たのか?」
ぼくは、もちろん「そうだ。」と答えた。
彼は、勉強とテレビと会話の3つを同時進行させ、ぼくに質問をしたかと思うと、こちらの返事を聞きながら教科書を読んだり、テレビを見たり、レポートを書いたりしていた。ぼくは、「こいつなんだ?」と思いつつ、「こんなもんか…」と諦め、またテレビを見ていた。すると、しばらくしてまた彼はぼくに話しかけてきた。
「日本人は、魚を生で食べる習慣があると聞いたが、そうか?」と尋ねてきた。
ぼくは、「新鮮な魚しか生で食べないが、そういう料理を、すし、とかさしみと言うんだ。」と返事をした。
すると、ちょっとうなずいたかと思ったら、また必死になって鉛筆を握り締めながらルーズリーフの紙に何か書き始め、勉強に集中しはじめた。
「本当、変な奴!」と思っていたが、こっちも冗談半分で質問してやった。
「おまえの国ではどうだ?」
もちろん、アフリカで生ものを口にする習慣なんてないとは思っていたが、とにかくそうでもしないと、彼の勉強の「息抜き」のために利用されている気がして、意味もなく質問をしてみただけだった。
当然、彼は首を横に振り「魚は生では食べない。」と言い、そして、なんとこん
な質問をしてきた。
「ところで、鶏や、ワニも生でたべるのか?」…..
ぼくは唖然としてしまった。
エッ?!鶏やワニ?生で食べるって?そんなことあるわけないだろう!と思いつつ単に”No, we don’t eat them by row”とだけ返事をしてやった。しかし、それから会話は途切れ、無表情な顔で彼はまた平然と勉強に熱中してしていた。
それから後、「おまえは鶏や、ワニを生で食べるのか?」と聞いてやろうかと思ったが、彼の様子があまりにもまじめなのと、もし”Yes”とでも答えられたら気持ちが悪いので、知らん顔してテレビを見つづけた。すると、たまたま人間の骸骨がジャングルの中から出てきた映像がテレビに映っており、「もしや、おまえ人間は…?」と頭をよぎったものの、さすがにその質問は止めた。
いずれにしても、世の中にはいろいろな人や文化があるから、交流を深めることはいいことだ。ちなみに、君、一度「ワニの生き作り」を食べてみたい….!?!(^^)v
[1999年11月11日発行]