第17話 旅行 – battery park 駅
前回に引き続き、今回もニューヨークでの話。
以前も、地下鉄話しをしたことがあったけど、ここでは私の恐怖の体験をご披露しよう。なんてったて、自分の経験に基づいた話しは迫力が違う!(f^^;)
さて、私が始めてニューヨークの地下鉄に乗ったのは、始めてニューヨークに着いた翌日。地図を片手にアメリカのシンボル「自由の女神」を見に行くためだ。12月中旬のニューヨークは思いの他寒く、数日前に降った雪が道の横に山積みにされていた。
滞在していたYMCAの近くの地下鉄の駅の入り口、地下へ降りる階段を進んでいるときの「緊張感」、今でも忘れられない。寒さのせいもあったのだろうけど、膝がガクガク揺れていた。
なんせ、悪名高き地下鉄という前評判に洗脳されていたから、前後左右気にしながら暗い階段の先にあった改札へ向かった。でも、よく見ると朝の10時頃ということもあって、多くのビジネスマンがいたし、女の人もスーツ姿で駅のホームで何気なく新聞を読みながら時間をつぶしている様子があちらこちらに見えた。
ホッと胸を撫で下ろし、「そんなに危ないことはないだな~」とちょっと安心することができた。でも、マンハッタンの中心街から南に進むことは、私にとってはとても不安があった。前回書いたように、この時点ではまだあの「サウスブロンクス」はマンハッタンの南にあるものと信じていたからだ。(^^;)
『ゴルゴ13』の先入観で、ニューヨークの闇の世界、悪の巣窟と言えば「サウスブロンクス」とお決まりだったし、South、つまり「南」の方向は危ない地域だと思いこんでいたためだ。私の頭の中では、マンハッタンの南端にある自由の女神への道のりは危険地帯に足を踏み入れるのと同意義だったのだ。
ましてや昨日「北に進めば大丈夫」だと信じていたのに、「あんな目」にあったのだから、めちゃくちゃ臆病になっていた。サウスブロンクスとは、「ブロンクスの南」であって、場所的に言えばセントラルパークの北に位置し、マンハッタンの南ではない…。でも、それを知ったのは旅行から帰ってからだ。よって、当時の無知な私にとってはニューヨークの南は本当に「恐怖の地帯」だった。
「自由の女神」へはどこの駅で降りたらいいのかは、YMCAの人に聞いたからBattery Park駅だと知っていたし、地下鉄の終点になるという説明もしてくれたから、乗り過ごすこともない。でも、命を奪われるかもしれないという緊張感で、私は目をぎらぎらさせていた。
ホームで電車を待っているビジネスマンやOL達と一緒に電車に乗り込むと、まず一番始めに目に付いたのは、スプレーで描かれた意味のわからない落書き。「汚ね~!」っと思ったのが第一印象。これが、私の臆病な気持ちを逆撫でしてしまった。
乗っている人達の表情からして、絶対に安全だということは分かっているはずなのに、映画で見たような乱暴なシーンが頭をよぎり、ド~と淀んだ気分になってしまっていた。大体、地下鉄に乗ること事態私は嫌だった。
サウスブロンクスのことが気に掛かっていたから、YMCAの人には始め「歩いていきたい」と伝えたのだが、フロントの彼らはみんな「安心だから心配いらない」。と言ってくれたし、それに、「遠くて歩いてなんていけないから」と忠告してくれたから乗っただけで、気の小さな私は、不本意に地下鉄を利用したのだけに過ぎなかった。
まるで、一人っきりでお化け屋敷に足を踏み入れたような、誰も助けてくれない、背筋の寒~い思いをしていた。電車は、どんどん進んで行き、駅もいくつも通り過ぎていった。
緊張していた私は、どの駅からもほとんど人が乗ってこないこと、そして少しずつ、少しずつ乗客が降りていく様子を見て、さらに緊張の度合いを増して行った。
不気味な現象に見えた。
そして、Battery Park駅の一つ手前の駅についたときには、なんと私一人残して車両の中には誰もいなくなっていたのだ!!
私は、めちゃくちゃ緊張していた。カチンコチンになるくらい、緊張していた。
心の中では、「ここで取り乱してはいけない。」「ここで取り乱してはいけない。」…と、何度も何度も繰り返して自分に言い聞かせて、頼みの綱のスプーンやフォークの付いたアーミーナイフ握り締めていた。
誰も乗っていない地下鉄の電車は不気味だ。
最後の一人の乗客が降りて電車の扉が閉まった瞬間、「ヒ、一人だけだ…。」と強烈に感じた。唯一の心の救いだったのは、次の駅が目的のBatteryPark駅だったことだ。「あと一駅」、「あと一駅」….。呼吸を整えながら次の駅を必死の思いで待っていた。
電車はガタガタ音を鳴らしながら進んだ。
真っ暗なトンネルの中、私以外に誰も乗せていない車輌は不気味で、揺れるたびにすべての吊革がまったく同じ周期で動いていた。「フッ」と気がつくと目の前のガラスに映っている自分のおどおどした姿が、まるで他人がそこにいるような、自分であって自分でないような、別の次元へ飛び込んでしまった…、そんな気持ちになっていた。
電車は、しばらくして急に減速したかと思ったら、停まった。
それも、真っ暗なトンネルの中で。
「い、いったい何が起こったんだ?!?」と思ったときには、本当にパニック状態に陥ってしまった。だって、Battery Parkの駅についたはずなのに、そこには駅もなく、あるのは只只暗闇の地下だけだった。
私は、ゲゲゲの鬼太郎の世界に紛れ込んでしまったのかと思っていた。
トワイライトゾーン状態だ。もしかしたらこの世界から一生出ることができないのかもしれない、と不安がよぎり、今まで恐怖をこらえて座席に座っていたが、ついに耐え切れなくなり、車両の中をうろうろし始めていた。
「落ち着け」「落ち着け」、…と、言い聞かせながら、何が起こっているのか、どうして駅に着かないのか、私はどうしたらこの事態から抜け出せるのか、…必死に考えて車両の中をうろうろしていた。誰もいない、何も起きない、そして静寂の中、自分の足音だけが心臓の鼓動を感じさせない唯一の音になっていた。息が荒い、呼吸が苦しい、…。
すると、ズ~と前方車両に小さな人影が見えた。
「た、助かった!!」
私は走った。
必死になって車両と車両の間の扉をバタバタ開けながら、前方の人影に向かって全速力で走っていった。どこの車両にも誰もいなかった、後ろから誰かが追っかけて来るかもしれないという不安を消すためにも、一生懸命走った。不気味で怖かった。
そして、やっとその人の側にまで行ったら、その人は駅員さんだった。私はその駅員さんに、「ここはどこですか?!駅はどこですか!!!」と言葉にならないような叫び声を上げ、「助かった~」と気の遠くなる思いで駅員さんの顔を見つめていた。
駅員さんは、「どうしたの?」と怪訝そうな目つきで私に話してきたのだけど、その言葉の意味を理解するまで落ち着きを取り戻すことは出来なかった。でも、助かった。本当に、良かった!とやっと気持ちを落ち着けてその駅員さんの話しを整理した。
すると、なるほど~。とすべての理由がわかった。
…タネを明かせば、そんなに驚くべきことではなかったのだ。
理由はこうだ。Battry Park駅はマンハッタン島の最南端に位置する。基本的にそのエリアは有名なWall Streetのあるビジネスエリアよりも先で観光客くらいしか人が来ないのだろう。このあたりはほとんど人は住んでいない。
だからBattry Park方面に向かっていくに電車には、あの朝の時間帯、降りる人はいても乗る人はほとんどいないというわけだ。そして、ついにBatteryPark駅に到着したときには、たまたまそういった理由で、私一人しか残っていないことになってしまったのだ。
それでは、駅に着いたときに、何故真っ暗の世界に停まっていたのか?
これも理由はしごく簡単。ほとんど人の出入りがない駅だと、すべての車両用にホームをつくらずに、前方の数両だけにプラットホームがあるってことが、日本にもある。このBattery Park駅は、地下鉄の駅にも関わらずそういうタイプの駅だったらしい。私が乗った車両がたまたま後ろの方に位置していたから、そこにはホームが存在していなかったのだ。当然、地元の人はそんなことは知っているから、誰もその車両には乗っていなかったわけだ。
ヘヘヘヘッ….、おハズカシイ。(f^^;)
浅知恵の先入観が、勝手に私の心の中に恐怖心を植え付けてしまっていたんだよね。でもこの体験で、「未知の不安への立ち向かい方」を学んだような気がする。このときから、言葉の通じない国に行っても安心して生活することができるようになったのだから、人生「塞翁が馬」だ。
君も、Battery Park駅に行くことがあったら、後ろの車両に乗ることを勧める。
カラ~ン、コロ~ンともしかしたら、鬼太郎の下駄の音が聞こえてくるかもしれない….。最近は、リング0の貞子の亡霊かもしれないけど….。フフフフ…(^^;)v
[2000年1月27日発行]