第56話 渡る世間は….
世の中、ほとんどの人は善人でとても優しい。それは国や文化に関係なんてない。でも、だからと言って誰でも信じて良いというわけではないのも事実だ。
あまりにも物事を楽観視する人には、「渡る世間は鬼ばかり」が忠告であり、悲観的に考えすぎる人には、「渡る世間に鬼はなし」がアドバイスなのである。
さて、今回は私の留学中の話しではないのだが、ちょっと「留学生を名乗った人」のことを思い出したので紹介したいと思う。
あれは6年ほど前のこと。その頃、私は仕事で何度かタイへ出張に行っていた。海外出張はそれなりに気を使うし、精神的にも体力的にも結構疲れるものだが、長期に渡る出張の場合は間にある土日の休日に
観光ができるので、ちょっとラッキーである。
たしか、あの時は私にとっては3度目のバンコクへの出張。いつもは一人なのだが、そのときは私を含めて4名だった。
ご存知のように、バンコクはとても蒸し暑い。一人なら3度目ともなると観光に行くのも面倒で、土日はホテルのプールに入る程度で時間をつぶすのだが、そのときばかりは、観光に出よう!というみんなの声に押され、ホテルで貰った観光マップを手に適当にブラブラと街へ出た。
タイは仏教国であるから、寺院があちらこちらにある。しかし、どれもこれも、特にこれと言って特徴がないものばかりなので、私は嫌気がさしていたが、他のメンバーはそれなりに、楽しんでいたようだった。
しかし、やっぱり蒸し暑い。
歩くのもかったるくなった頃、「ツクツク」と呼ばれるバイクの後ろに4名ほど乗れる座席をつけた乗り物のオヤジがこちらに向かって声を掛けてきた。
英語で話しかけたオヤジは、お土産を探すのなら、安い店を知っているから連れて行ってやる。…とのこと。「ツクツク」の金額を聞いたら100円程度だったので、何も買わなくても文句を言わない約束で、われわれ4名はその誘いに乗った。
実は、他の連中はあまり乗り気ではなかったのだが、ちょっとした冒険気分を味わいたかった私は、大の大人が4人もいればそんなに大きなトラブルには巻き込まれないだろうと思って、強引にみんなを引っ張っていったのだ。
民芸品の店や、胡散臭い宝石を売っている店、タイシルクの店、等々、その運転主は、私たちを連れてあちらこちらを回ってくれた。
その間、私たちの買ったものといえば、絵葉書くらいなもので、これじゃバックマージンもたいしたことないだろうな~と感じていた頃、その運転手は、「この近くに由緒正しい寺院がある」と言って連れて行ってくれることになった。そろそろ疲れていた私たちは、それじゃその寺院を見たらホテルに返してくれ、と話した。
彼の言う「由緒正しい寺院」は境内に『タイ式ボクシング』の練習場のある意味不明の寺だったが、建物の中に一歩足を踏み入れると、さすがに正座しなくてはいけない気分になるほど荘厳な雰囲気で、10mほどの高さの金箔のブッダが座っていた。
私たちは、しばし疲れを忘れてそのブッダを静かに見上げていた。
すると、とても知的な雰囲気の英語の堪能な20代後半の青年がこちらに話しかけて来た。
彼は、とても親しみやすく、しばらくこの寺の由来を懇切丁寧に説明してくれ、私たちはその説明の一つ一つに首を縦に振りながら話しを聞いていた。
彼によると、自分はアメリカに留学したが、弟は日本に留学して早稲田大学へ通っていると言っていた。そのため、日本人がとても好きだ。と、満面の笑みを見せて言っていた。
そして、その後に私たちはとってもラッキーな人達だと話し初めたのだ。
彼いわく、数日前に国王の母親が亡くなったため、国葬をすることになったのだが、それには膨大な費用がかかるため、国はある手を考えたとのこと。それは、昨日の新聞にも載ったらしいのだが、その費用捻出のために、観光客にたくさんのお金を使ってもらってその税収を利用しようというものだった。
もちろん、お金を使ってもらうためには、それなりのメリットが観光客にもなければならないのだが、彼の説明によれば、宝石の原石で有名なタイは、通常、その原石を輸出する際に政府関連の特定のルートしか許さず、それ以外にはかなり高い関税を掛けているのだが、この期間だけはその「特定のルート」で観光客も買い物が出きるようにしているというのだ。
しかし、宝石の原石なんて一般の人にとってはあまり意味がない。
ところが、その原石を日本に持って帰ると、有名宝石店(たしか、ミキモトだったと思う)が買い取ることを約束しているというのだ。つまり、仲介業者が介在しないため、その有名宝石店にとっても非常にメリットがあるため、保証書と一緒にその原石を日本の住所へ持っていけば、5倍の利益が上がるというのだ。
そして彼は時計を見て、今ならそのお店が閉まるまで一時間ある。もしも良ければ先程乗ってきた「ツクツク」の運転手にその場所を教えるから連れて行ってもらうといい…と、言ったのだ。
なるほど、なるほど!
とっても胡散臭い話しではあったが、買わなくても何も問題がないから、とにかく見に行くと良いといった彼のアドバイスで、私たち4名はホテルへ戻る前に再びその「特定のルート」である店に行くことになった。
10分ほど走ると、その政府関連の宝石を扱う店に着いた。
店構えは、どう見ても寂れた宝石店。中に入ると、観光客らしい人達で結構ごった返していた。日本人らしき人や、西洋人。みんなショーケースの中を覗きこんでいた。
しかし、ショーケースの中はほとんどガラガラで、宝石の原石の入ったタバコの箱の半分ほどの大きさのプラスチックのケースに紫色をした石が5~6個入っているのが無造作に置いてあった。
とても胡散臭い話しなので、日本ではどこの店に持っていけばいいのか?
金額はいくらか?等々の質問をしたところ、手馴れたもので、すぐに日本の有名宝石店の住所を書いたリストを持ってきて、このどこの店でも大丈夫だと説明してくれ、10万円なら日本で50万円で引き取ってくれる。と熱心に説明してくれた。
それに、大きなファイルを持ってきて、ほら、こんなにたくさんの人が買っているのだから大丈夫、心配はいらない。とペラペラとパスポートとクレジットカードの写しのコピーを見せてくれた。
胡散臭いとは思いながらも、その5倍という言葉と、5万円程度なら今回の長期出張の手当てでなんとかなると思った私は、「捨て金」と思って買ってみてもいいかと思った。しかし、店の人がクレジットカードの利用金額最大の50万円まで買うことを非常に押して来たため、そんなにまでは『博打』にリスクは負えないと思い断念して、店の外に出ることにした。
外では、一日運転してくれた「ツクツク」の運転手が待っていた。
彼は、どうだった良い買い物はできたか?と質問してきたので、高いから何も買わなかった。と答えたところ、その運転手は店の裏口から出てきた金のネックレスをした若い男に話しかけた。
私たちは、「ツクツク」の座席に座って動くのを待っていたのだが、なんとその男がニコニコ笑って、私は普段警察で働いているのだが、今日は非番でこの店のガードマンをアルバイトでしているんだ。なんで、こんなに良いチャンスなのに買わないんだ?現金がなくてもクレジットカードでいいんだから心配はいらない。と、こりゃまたシツコク迫ってきた。
私は、お前が警察官かどうかなんて、どうして分かるんだ?
と質問をしたところ、タイ語で書かれたIDを見せてきたので、これが本物の警察のIDかどうかなんて私には分からない!と怒鳴ったところ、それじゃ仕方がない。と、離れて行った。
その後何事もなかったように「ツクツク」は、大通りにまで走って行ったが、突然止まり、ここで降りろ!と運転手は言い放った。
さっきの雰囲気といい、この運転主の口ぶりといい、ちょっと危ない雰囲気だったため、私たちは何も言わずに降り、その「ツクツク」を見送った後、タクシーを捕まえてホテルにまで戻った。
…..。
総括して考えてみたのだが、きっと私は「詐欺師」の集団に引っかかるところだったのだと思う。
マ~、退屈していた3度目の出張だったので、それなりに「危ない」経験ができ、個人的には楽しかったのだが、私の提案で振りまわされた他の人たちには大変申し訳ないことをしたと思う。
ちなみに、日本に帰国してから「地球の歩き方」を見てみたら、やはりこの手の方法でかなり多くの人たちが被害にあっているとのこと。
つまり、あの店で見せてもらったリストは、全員詐欺に引っかかった人たちということだと思う。名前までは覚えていないが、その中に日本の大学生がいたと記憶しているので、彼は帰国してから、とんでもない借金を背負ったのだと思う。可愛そうに….。
でも、私ももう少しのところで引っかかるところだったのだから…。(^_^;)
それから、帰ってからWifeにこの話しをしたところ、こっぴどく叱られたのは言うまでもない。(f^_^;)
それじゃ!
[2000年11月2日発行]