第76話 「湖」
私の両親は、基本的に田舎者だ。(^^;)
私が留学中、一度だけ両親揃ってアメリカに来たことがあった。
愚息がどんな生活を送っているのか心配だったこともあったのだろう。留学も一年を過ぎた頃に、たくさんの土産を持って私に会いに来てくれた。
よっぽどそのときの印象が強かったのだろう。
未だに、親父は酒を飲むと「あれ、あれ、何だっけ、あの湖はすごかったよな~」と始まるのだから、何十回と同じ話をされる私は苦笑いしかできない。(^^;)
さて、今では全く疎遠にはなってしまったが、私が留学当初にお世話になったホストファミリーに会いに連れて行くため、両親を連れてジョージア州からテネシー州に1200ccのカローラで向かった。
私の両親は、もちろん英語なんて全く話せない。私が通訳をするのだが、特に話題があるわけでもなく、日本から重い思いをして持ってきた「鎧兜(よろいかぶと)」をかぶったサントリーの『だるま』ウイスキーの説明や、その他諸々の土産物の説明をしたくらいしか、ホストファミリーの家で話した内容は覚えていない。(^^;)
日本では(特に田舎では)、お世話になった人に豪勢なお土産を渡すことで、感謝の気持ちを示すが、基本的にそんな文化のないホストファミリーは、いくつも、いくつも、いろいろな土産を渡す私の両親の様子を見てどう思ったことか…..。
マ~、ホストファミリーに妙に恐縮しながらペコペコする両親がちょっと恥ずかしく、その上、へたくそな英語しか話せなく、話題づくりがまだへただった私は、ほとほと疲れてしまった。
一泊お世話になり、翌日帰ろうとしたとき、外は大雨。スコールだった。私は、ビーチサンダルを履いていたので、傘もささずに、背中を丸めて、全速力で車まで走っていった。
次の瞬間!
私は自分の足が宙に舞い、視線が空に向いていることに気が付いた。そして、全身の力が抜けた。何となく、ゴン!と鈍い音が頭でした記憶はあるが、あまり痛みは感じていなかった。
雨の中、私は倒れた。
雨が降ったためにつるつるに成っていた道を、滑りやすい底のツルツルのビーチサンダルで走ったため、思いっきり転倒したのだった。
驚いた私の父と、ホストファミリーのお父さんは、雨の中私を抱えて家の中に連れて行ってくれた。本当なら、すぐに病院にでも行った方がよかったのだろうが、明日の飛行機の予定があったため、しばらく休んだ後、両親を車に乗せて2時間ほどの遅れで出発した。
しかし、運転してしばらくすると、案の定、頭痛が始まった。
そして、気持ちが悪くなってきた私は、以前、頭を打った後吐き気をもよおすと、脳に障害が起こっている可能性があると聞いたことがあったので、急遽、ハイウエーを降りて、救急病院へ向かった。
そこは、テネシー州の田舎町。
病院では、大きな黒人のお医者さんが、私の説明を聞き、頭をさわりながら、目を動かすように言った。左右、上下、何度か目を動かした。診療は約3分ほどで終わり、先生は「多分大丈夫だが、
数日経っても痛みが引かなかったらもう一度病院に来なさい。」と言ってくれた。
こんな簡単な診断で大丈夫か?と、心配にはなったが、他になすすべのない私は、本当に「大丈夫」であることを祈りながら病院を出た。
多分痛み止めの薬を処方してくれたのだろう。病院から車で約5分ほど行ったスーパーマーケットへ行って薬を貰うようにと「処方箋」をくれた。
しかし病院で「大丈夫」と言われても、どうも気持ちが悪く、頭も痛い。早く薬を貰わないと!と必死になって道順を教えてもらったドラッグストアーのあるスーパーマーケットに行った。
アメリカの田舎町にありがちな、周囲には全く何もないスーパーマーケットは、店内の数百本もあるであろう蛍光灯の光でボ~と闇の中に浮かんでいた。
夜遅いこともあり、広々とした駐車場はガラガラ。
私は、スーパーの入り口近くに車を止めた。しかし、どうも雰囲気が悪い。何をするわけでもなく、夏の夜に集まる害虫のような、若い黒人の男たちが、そのスーパーの外をうろついていた。
私は両親に、「危ないから、車から一歩も出ないこと。」と言って、こりゃまたガラガラのスーパーマーケットに入り、薬が欲しい旨伝えた。
のっそりした店員は、ゆっくりと薬の調合ができる人を呼びに行った。
そして、またゆっくりと、呼ばれて不機嫌そうな薬剤師は薬の棚から処方箋に書かれていた薬を取り出して私にくれた。
私は、車の中で待っている両親が心配で心配で仕方がなかったので、一刻も早く戻りたかったが、そんなことにはお構いなしに薬剤師はスローモーションでも見ているように、ゆっくりとしていた。
やっと薬を貰った私は、スーパーマーケットの中を走るように車に戻った。
そこには、なんと数匹のモンスターが籠の中の獲物を狙うかのように、何人かの黒人たちが私の車の周りにたむろし、覗き込んでいた!!
ここで慌てては逆効果だと思った私は、わざと堂々とした足取りで車に近づいた。連中は私の様子を見て、ソ~と引いて行った。
車で待っていた両親は、よっぽど怖かったのだろう。
恐れおののいていた。
黒人の連中が何をしたかったのか、単に車の中を覗いていただけなのかは分からなかったが、私も怖かったので車に乗り込んだらすぐに全速力でそのスーパーの駐車場から出て行ったのを覚えている。
その後、痛み止めの薬を飲んだ私は眠気に襲われ、しかたなく父親に運転を頼んだ。夜中に約6時間、異国の地で父親に運転してもらうなんて思ってもみなかったが、とりあえず翌朝、無事にジョージア州に到着することができた。
未だに、私の父は必ず「湖」の話をした後に、真夜中、左右反対の車を『無免許』で運転した話をする。(^^:)
そのうち、親父に酒でもご馳走しようか…..。
それじゃ、また!
[2001年11月22日発行]