コラム

第77話 お世話になりました(その1)

学生時代って、振り返ってみるととっても恥ずかしいことばかりだ。大学生ともなると図体はすでに大人だし、一丁前のつもりではいるのだが、やはりまだ社会人としての責任を負っていない。

二十歳(はたち)を超えても、結局は衣食住のほとんどを親に依存しているのだから、保護下に置かれているのと同じだ。
それに「学生=学んでいる」とは、まだ完成していないことを意味するのだから、そりゃたくさんの愚かな行動を「気がつかず」にしても仕方がない。

しかし、若さっていうのはそれを『許してもらえる』特権を持っていると思う。だから、自分のやっていることが多少無茶だと思っても、また人のお世話になってしまうということでも、どんどん体当たりで何でも挑戦した方がいいと私は思う。それをすることが人としての「厚み」を増すものだと思うからだ。

劣等性を擁護するつもりはないが、学生時代に優等生だからといってその人が本当に「優秀」であるというのとは違う。優等生と呼ばれる学生は、単に『先人の物差し』で「優秀」と評価されただけのこと。また、誰かが敷いた路線をはずれずに生きてきたというだけのことだからだ。そう、あくまで他人の敷いた道。そんな人(他人)の道で、学生時代に優等生であったって、社会人になっても、その延長線である保証はない。

だから、留学を目指している学生諸君には優等生であることよりも、チャレンジャーであって欲しと思う。留学中、人に迷惑をかけるのはよくないが、「お世話になる」くらいであれば、そんなことを躊躇することなくどんどん、やりたいことをやるべきだ。

今回から数回に分けて、私が留学中にお世話になった人たちの話を書きたいと思う。多少の反省の念もあるが、マ~いずれお世話になった分に「ほんのちょっとプラス」して、他の人たちにお返ししていけば良いかな~と思っている。(f^^;)

それでは今回は、留学2年目に突入していた頃の話だ。

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留学中にお世話になるとは、通常、衣食住のどれかだ。(f^^;)

最近は、旅費が安くなったから、夏休みに日本に帰ってアルバイトをすれば、旅費も稼げるし、親元に帰るのだから衣食住に困ることもない。しかし、私の居た頃は、まだ航空運賃が高く、貧乏人の私
にとっては帰国なんて「高嶺の花」だった。それに、折角留学しているのだから、少しでも長い時間アメリカで生活をして、『元を取りたい』(^^;)とも思っていたので、帰国なんてもったいなくてできなかった。

サマーコースを取らなければ全く何もすることのない、3ヶ月もある夏休み。学校が好意的に寮を休み中でも貸してくれるので、寮にさえ住んでいれば、一応「住」の部分は確保できるのだが、頼みの学校の
カフェテリアは閉まっている。つまり、「食」が満たされない。

あと、折角アメリカにいても、寮の部屋では話す相手がいない。
せいぜい、学校の手入れをする黒人のおじさんくらいしかいないのだから、孤独だ。それに、けして蔑んでいるつもりはないが、黒人のおじさんたちの英語って、本当に聞き取るのが大変だ。喉の奥をひねりながら、低い音でしゃっくりを同時にするような発音なので、教科書英語をスローテンポで話してもらわないと理解できないような留学生にとっては、会話にさえならない。(f^^;)

と、マ~、結局大学の寮に居ても、呼吸しているだけで3ヶ月が終わってしまうのだ。もちろん、友達の家に転がり込むことが出来ればよいが、なんせコミニュケーションに不自由で、そんなに気の合った友達なんて2年目の夏を迎える頃にはいなかった。

そこで、以前メルマガで書いたように、冬休みは期間が短いため、初めての冬はアメリカ縦断を行ったのだが、さすがに夏休みの場合には3ヶ月もある。学校の寮にいてメシを食らってゴロゴロしているとか、いくら「超貧乏旅行」であったにしても旅行に出かけるとかは、親に申し訳ないと思った。

なんとか、自立したい!そう思った。つまり、収入を得ることだ。

しかし留学中は、基本的に働いてはいけない。(何度もこのメルマガで書いたが….)しかし、私は(一応)信念を持って(もちろん、隠れて(f^^;))仕事を探した。

これも何度か書いたが、実際のところ、かなり多くの留学生がウエーターや皿洗い等で「学費」を稼いでいるのが現実だ。さすがに、アメリカ合衆国も、ある程度は多めに見ているのだろう。

留学も一年を過ぎた夏休み。

ある日本人の友達がいた。彼はとても旅行好きで、留学生に格安の飛行機のチケットを取ってあげたり、予約を入れたりと旅行代理店もどきの活躍をしていた。

その彼が良く使っていたのが、ロスにある日系の旅行代理店。どういう関係で見つけたのかは知らないが、その旅行社は、バリグ・ブラジル航空のホールセラーで当時格安のチケット販売を行っていた。社員は、全員日本人で、みんな20代から30代と若かった。

彼は、しょっちゅうその旅行代理店に(コレクトコールで(f^^;))電話を掛けたため、そのうちその人たちとお友達になってしまった。

私は、特に関係があった訳ではなかったが、たまたま、その旅行社のキャンペーン用ポスターに『ドクタースランプのアラレちゃん』(知っているかな~?)の漫画を描いてあげたのが縁で、彼経由でお知り合いになった。

その友達は、夏休みにその旅行代理店から、「どうせ夏休みは何もすることがないだろうから、ロスに来てこの旅行代理店でバイトをしたらどうだ?」と誘われたそうだ。もちろん、彼にとっては願ってもないお誘いだったので、行くことになった。

私は、何気なく「うらやましいな~」と彼に言ったところ、ロスの旅行代理店の人たちに話をしてくれた。彼らも若いノリで、『一緒に来ちゃえば?来たら来たでバイトなんてあるから!』と私に言ってくれたことを良いことに、私はまだ当てもないまま、何も考えずにロスへ飛んでしまったのだ。

もちろん、バイトの当てもなければ、住むところも決まっていない。
何とかなるさ!とばかりに、その旅行代理店へ訪問。先方の社長さんからすると突然の来客になるのだが、そこは太っ腹で、「それじゃ社員のトム君と一緒の部屋に泊まらせてもらったらどうだ?」と言う事になり一応「棲家」は確保。(^^;)

さらに、その会社の部長さんにお願いして、「仕事ないですかね?」と、こりゃまた厚かましくお話したところ、その部長さんのお友達でロスで日本人旅行者向けにお土産関係の仕事をしている方に連絡してくれて、夏休み限定ということで雇ってもらうことになった。

何とかなるさ!ではなく、本当に何とかしてしまったのだ。(f^^;)

<続く>

それじゃ、また!

[2001年11月29日発行]