コラム

第11話 インチき!

日本人は、理数系の科目が得意だと言われているけど、留学先の大学で数学のクラスを取るとその意味がわかる。なんせ、「数学の初歩」のクラスなんかだと、なんと大学の教科書に、二桁の掛け算の問題が載っていたりするから、本当に目を丸くする。

しかし、これは言葉が不自由な留学生にとって天の恵み。数学を勉強する目的としてではなく、英語に慣れるためのクラスとして使うといい。もちろん、単位も簡単に取れるから、後々のGPAのためにも、しっかりとAを取ろう。このときに、気を抜いてしまうと、後々大変なことになるからね。

「留学くずれ」と呼ばれているほとんどが、この時期に気を抜いてしまっている連中だ。それは、この時期に英語の勉強をせずに楽だからと遊び呆けてしまい、後々のクラスに着いて行けなくなるからだ。

私も、仕方なしに学校を辞めてしまった何人かを知っている。この時期にしか「時間的余裕」がないのに、始めから留学生活(遊学生活?)をエンジョイしすぎてしまうと、あの有名な「アリとキリギリス」の物語状態になってしまう。こんなことを書いているぼくも、実はこの「留学くずれ」寸前の状態にまで陥ってしまったことがあるからこそ、このことを強くアドバイスしたい、絶対に忘れないでほしい。

初期の頃に大切なことを吸収せずに、その先の学期で受ける「本番」の授業にアタックすると、その授業の速さに後々苦しむことになるだろう。数十ページにも及ぶテキストを「明日までに読んでくるように」と言われると、本当に目の回る思いがする。日本語でさえきっと読むのが難しいであろう内容を、英語でやるわけだから、そりゃ、どうしようもない。努力しようと思っても、集中力が持続しない。すると、翌日のクラスは何をやっているのかよく分からない、これが繰り返されて段々泥沼化していく。そして最後には「身を滅ぼしてしまう」というわけだ。

それでは、楽なクラスの時に何を吸収するかだ。
1. 先生とのコミュニケーションの取り方
2. 質問の仕方
3. 授業の雰囲気
4. 生きた英語の使い方
だ。たぶん、この程度なら「当たり前じゃん!」と感じていると思うけど、やってみると意外に難しい。そこで、ここでは効率の良い習得術を教えたいと思う。

それは、「既に理解している内容を質問に行く」ことだ。
クラスが終わってから先生のところに行き、「先生に質問があるので、先生のオフィースに訪問したい。いつがいいか教えてくれ。」と聞き、アポイントをとる。そして、120%理解している内容を事前に選び、先生に「これは、こういう考え方でいいのか?」と質問するんだ。先生の方は、君にだけの時間を取ってくれるので、じっくり「先生とのコミュニケーションの取り方」を学べる。すでに、質問の解答は既に知っているのだから、こちらも余裕を持って会話が出きるので、英語力アップにはとても役に立つ。

また、論理建て会話する練習にもなるのでお勧めだ。

当時のことを振り返ると、先生と「1対1」コミュニケーションした経験が、外国人との交渉に会社に入ってからどれだけ役に立ったかわからない。先生の目、表情をじっくり観察し、自分の英語がどの程度まで相手に伝わっているのか、どう説明すれば相手に理解してもらえるかをトレーニングできるからね。

さらに、先生が説明してくれる内容をよく聞くことで、英語的表現方法(生きた英語の使い方)を学ぶことができる。これも、すでにどんなことを相手が言って来るのか想定できるからこそ持てる「余裕」からくるから、是非これを折を見て試してほしい。

始めのころには、単に”I don’t understand.”という質問だけでも十分だけど、少しずつ、自分なりに表現方法を工夫することで「質問の仕方」が学べるし、上達が速い。質問する内容を「自分ではこう理解しているが、ちょっと自信がないので教えてほしい。」と言って、先生の表現に手を加えて「自分の表現」に直し、先生に質問すると勉強になる。

しかし、ここで覚悟しなければならないことが一つある。
それは、初期の頃は「何を言っても先生に理解してもらえないだろう」ってことだ。本来120%理解している内容だから、絶対に問題ないはずなのだけど、英語力がpoorなためにそれがうまくできない。結構、これが苦痛なんだ。

しかし、めげてはいけない。
「俺の英語が理解できない先生が悪い!」と強気で行こう!
そして、何度もゆっくりと自分の言いたいことを順序だって説明してみよう。先生も君のことを理解しようと努力してくれるはずだ、だって先生の給料は、君の学費から出ているからのだからね。

そんなこんなを繰り返している内に、なんとかなっていくものだから、何度も落ち込みながらトライしてみよう。クラスでは目を皿のようにして、耳はダンボにし、授業が終わってからは、先生に英語力向上のヘルプをしてもらう。折角自分に多額の投資をしているのだから、リターンも大きくしよう!

しかし、世の中皮肉なもの。
君がそんな英語の苦しみを味わいながら頑張っているなんて誰も知らないから、数学のクラスでは常にトップの成績でいる君に、時折他のクラスメートがひがんだりする。「あいつ、言葉もろくに出来ないくせに、なんで数学だけはあんなにできるんだ!」と、結構露骨に陰口をきく連中もいたりする。そんなときには、「これ、中学校のときに既に勉強しているから。」って言ってやろう。彼らは何でだ?とばかり「キョトン」とした顔をするからね。

ぼくたち日本人からすると、外国=アメリカに近いイメージあるし、外国語=英語だと信じているお年寄りだってたくさんいる。最近はやりのグローバル化という言葉の裏側には、「アメリカ化」を示している傾向が感じられるくらい。そのためか、アメリカ人はよっぽど「国際派!」と思われがちだけど、実際には意外にも「いなかっぺ」だったりする。聞いてみると分かるけど、パスポートだって意外に持っていない。

日本だと、大学在学中に卒業旅行や、バイトをして貯めたお金で海外旅行をする人がほとんどなのに、アメリカの大学生はあまり海外に出ない。ひどいのになると、自分の州の外に出たことがない人だってたくさんいる。それなのに、一種の中華思想的なものがあって、アメリカは世界一の国だから、自分達も「世界一の国民」なんだと勘違いしてしまっている人もたくさんいるのも事実。

だから、大学で勉強している内容を目の前の東洋人が「中学校で既に勉強している」と言われても理解できないらしく、ハトに豆鉄砲状態で、キョトンとしてしまうのだろう。たぶん、彼らからすると「俺がこんなに苦労しているのに、中学校で勉強した?なんのこっちゃ?」ってところなんだろう。

たまたま、ぼくの取った物理の先生が韓国人だったことがあって、一度カフェテリアで話しをしたことがあったのだけど、そのとき先生が「韓国や日本はすでにこんなことは勉強済みだからね~、退屈だろう?」なんて話してくれたのを記憶している。

そんな状況だから、常に試験で100点は当たり前。そして、それを見ているクラスのアメリカ人はプライドが傷つけられてしまう。気分が悪くなるのもうなずけなくはない。

ある日、メートル法の話があり、先生がインチからメートルへの換算に関して説明してくれた。でも、今までなれ親しだ単位が変わるなんて理解できない人がたくさんいたらしく、「なんでアメリカの使っている単位のインチを世界標準にしないんだ!」とばかり、理解できないことを棚に上げて、先生に噛みついたていたりした。

実は、昔々アメリカも一度、国際標準のメートル法に則り、インチを廃止しようと試みた経験があったのだけど、やっぱりこのクラスの生徒と同様に、「単位が変わる、なんのこっちゃ?」とばかり多くの理解できない国民の猛反対の結果、世界の動きに付いていくことが出来ず、断念したことがあった。しかし、そのあたりは先生は説明せずに、いいかげんに「アメリカでは、そんなに使わないから、心配いらない。」とよく分からない返事をして言い逃れしていた。

そして、その日の最後に理解度テスト(クイズ)を行ったところ、もちろんぼくはいつものように100点。しかし、なんとクラスの半分くらいの人は、落第点となってしまっていた。さすがに、この事態には先生も生徒達も愕然としたらしく、ぼくへの風当たりはとても冷たいものになったのを覚えている。

そのクイズが終わった後、その先生がクラスの生徒への励ましの言葉を述べたのはこんな内容だった。「彼の国では、昔からメートルしか単位がないからね~。」?!?

ぼくは、何をこいつ言っているんだ?と顔を見てしまった。
距離なら里、着物では反、面積では坪、重さでは貫、日本は山ほどいろいろな単位を使っていたのにも関わらず、世界標準をきちんと受け入れることができた事実を知らずに、何を言っとるんだ!と怒ったりしたものだが、当時はまだ英語力もなく、情けないが、しかたなくニヤニヤしていた。今だったらきっと言い返していただろうね。

「てめ~ら、自分の出来の悪いのを棚に上げやがって、もっと勉強しろ勉強!」って言ってやりたい。本当に。

だから、それからアメリカ人は「インチきだ!」と時々言ったりしているのだけど、こんなジョークはあまり理解されなかったりする。トホホ (^^;)

[1999年12月16日発行]