第41話 White elephant
「白い象」の話しはご存知だろうか?
ご存知のように、象は灰色。しかし、白い象も存在するらしい。ただ、そういう種類の象がいるというわけではなく、一種の染色体異常で色素がなくなってしまった象のことをいう…、とのこと。
もちろん、染色体異常の象が元気であるわけがなく、どうしても病気がちでとても世話がかかるらしい。そして、一般的に早死にする。昔アフリカかインドのどこかの王様が、政敵に対してこの「白い象」をプレゼントしたのだそうだ。もらった方はとても大変で、王様からもらった象を大切に育てなければならない。しかし、先ほど書いたように、この象はとても体が弱いために、それはそれは手間がかかる。つまり、もらった方はその「特別なペット」のために、膨大な金と時間と労力を使う必要があるため、政治活動どころではなくなってしまうのだ。さらに、王様からもらったプレゼントを死なせてしまった場合、不義に当たるとして、失職や失脚、最悪の場合死刑にされてしまうかもしれない。
もちろん、王様は素敵な象だからプレゼントしたのではなく、相手を失脚させるための手段としてその「白い象」を渡したことは言うまでもない。つまり、”White elephant”とは「厄介もの」ということなのだそうだ。あまり英語には諺(ことわざ)ってないと言われているが、辞書にも載っているので調べてみるといい。
さて、この白い象。一度だけ、留学時代に言われたことがある。学校の食堂(カフェテリア)での出来事だった。寮のある学校の食堂は、どこでも基本的に食べ放題。
好きなものを好きなだけ食べてよいことになっていた。そこには、日替わりのメインディシュが二品ほどあり、それ以外に何種類もの野菜を煮たものや、サラダバーがある、コーラや牛乳等の飲み物、コーンフレーク(アメリカではシリオというけど)や、ショッキングな色をしたデザートのケーキ等々、味は別として、豊富なメニューが並んでいる。もちろん、フルーツだって山積み。貧乏人の私にとっては、冬篭りする前の「熊」状態で、『食うときに食っておかないと、死んでしまう!』とばかり、留学当初の頃何も考えずに、胃の限界に挑戦する毎日だった。(^^;)そのため、よく「肥えていた」。(f^^;)
さて、その学校の食堂で、当時ある日本人留学生が、ちょっと非常識なことをしていた。そのため、食堂での日本人の評判がかなり下がったことがある。何をしていたかと言うと、多くの生徒が食堂から帰るときに、果物を一つ二つ手に持って帰っていった様子を見て、なんとその日本人、トレーに果物を乗せられるだけ乗せてテーブルにつき、他の料理をたらふく食べた後、その山盛りの果物を持って来た「リュック」に積めこんで持って帰っていたのだった。(^^;)
私も、当時は寮に戻ってからその果物をご馳走になったりしたから、ある意味で同罪なのだが、やっぱり非常識だったと思う。今になって考えれば、彼にそのことを指摘するべきだったと反省したりする。そんなある日、私が料理を取ろうとトレーを持って並んでいた。何を思ったのか、、そのカフェテリアのマネージャーが私の前を通り過ぎるときに、すれ違いざま「白い象め!」と私に向かって捨て台詞(せりふ)を吐いていったのだ。
多分、英語もろくすっぽできない留学生だから、意味なんて分からないだろうと思って言ったことなのだろうが、たまたまその意味を知っていた私は、ちょっとショックだった。一種の差別を感じたからだ。当時の日本人の悪い評判からすると、彼の気持ちも分かるといえば分かるが、やはり卑怯だと思った。
そのとき、私は何も彼には言い返さなかったが、…イヤ言い返せなかったが、強烈な印象として残っている。私がその事件から学んだことは、単に一個人の行動であったにしても、外国にいれば「日本人の代表」と同じで、良いことも悪いことも、すべて「日本人は、○○だ!」判断されてしまうということだ。だから、日本にいるときよりも、海外では、日本人全体が辱めを受けないように、旅行者も含めて留学生も行動には充分注意しなくてはならない。
ちなみに私の場合、会社勤めをしてから、海外駐在や海外出張したときには、日本では着けなかった「社章」をスーツに着けてるようにしていたことがある。それは、自分の態度や行動に失礼なことがあったら、「会社や日本が蔑まされる。だから、しっかりしなければならない!」と自分自身への戒めの意味を込めてだった。
また、私の苦い経験から、外国人に対してけして相手が理解できない言葉で暴言を吐いてはいけないと悟った。文句があるなら、正々堂々と相手に理解できる言葉を使って言わないとフェアーじゃない。それに、相手が理解できないことで優越感を感じたところで、卑屈になってしまうだけだ。
よく海外で、日本人同士が相手がわからないことを良いことに日本語を使って、「日本ではそんなことまで言わないよな~」というレベルのひどいことを口走っているのを耳にする。なんと恥ずかしいことか….。もしも、相手が日本語を完璧にわかる人だったらどうするつもりなのか?それに、自分自身で恥ずかしいと思わないのだろうか?…私はその様子を端で見ていて、いつも気分が悪くなってしまう。
小さなことだけど、言葉や文化が違う人達と接するときには、ちょっとした努力と思いやりが大切だと思っている。その積み重ねが、日本人が自分たちのことを誇りに思える「拠り所」になると私は信じている。皆さんは、どう思われますか?それじゃ!(^^)v
[2000年7月20日発行]