コラム

第43話 学歴詐称?!

どこかの芸能人が、学歴詐称したとか、しないとか話題になったことがあったけど、学歴ってどんな意味があるのだろうか?会社に入ってから、ある有名私立大学の経済学部を卒業した後輩に、為替変動に関する質問をしたところ、基本的なことすら知らずに、逆に私の方がそれに関連する話をしたことがある。本来彼はその関連の専門で、私より知っていなければならないはずなのに、何とも酷いものだった。

しかし、彼の履歴書の学歴は「○○大学 経済学部卒」となっている。

私の尊敬する、大前研一さんだって、彼の最終学歴はマサチューセッツ工科大学の博士号で、けして、どこかのMBAを取得したわけではない。だが、彼は世界最高の経営コンサルタントとして活躍している。そう考えると、結局、学位なんて単に大学や大学院で一番最後に勉強した「科目」でしかないことが分かる。最終学歴としての大学(院)が存在しているに過ぎないのに、何故か一般的に人を判断するための「材料」に使われている。

現実、私たちも、有名な大学を卒業していると「優秀な人」と相手を判断し、地方の無名な大学や、高校卒だと「一ランク下」として見る傾向があることは否めない。有名な大学を卒業して、新入社員とし入社してから会社に20年くらい勤めて、能力もないのに、とにかく管理職にさせてもらい、毎日大した仕事もせずに時間をつぶしているおじさんたちを何人も見てきたが、哀れなものだ。

私が言うもの問題があるかもしれないが、どんなに有名大学を卒業しようが、彼らは、絶対に優秀ではない。断言する。だから、会社も役職にはつけるけど、責任のある仕事をさせない。でも、傍らでバリバリと仕事をこなしている優秀な高卒の人たちは、いつになっても係長止まり、ランク的に彼らの下にさせられている。皮肉なものだ。そう考えてみると、大学という「冠」をいったん手に入れると、優秀だろうがなかろうが、安泰な生活をおくれる「定年までの定期券」を手に入れたと同じに見えてしまう。

しかし、絶対にそんな「歪んだ甘い世界」がそう長続きするわけがない。
近いうちに、崩壊すると私は思っている。だから、最終学歴がどうであれ、結果的にはその人がどれだけ勉強し、知識を増やし、判断力を養ってきたかが大切であることを留学を目指す人達は忘れないでほしい。それを頭に入れてにして、これからの文章を読んでほしいと思う。

何故なら、「偽造卒業証書」が世の中には存在しているからだ。

たまたま、そういう「裏の世界」とお付き合いのある女性とアルバイト先で知り合ったとき、冗談半分で「好きな大学の卒業証書のサンプルさえあれば、あなたをどこの大学でも卒業させてあげることができるわよ!卒業証書なんて簡単に偽造できるんだから」と教えてくれたことがある。たしかに、履歴書に書かれた学歴の確認をするために、卒業証書の写しを要求されたことはあったが、学校から証明書を取得するようにまでは要求されたことはない。

だから、ウソの卒業証書であったにしても、きっとばれないのだと思う。

でも、結局学歴なんて、本当の競争社会においては全く意味がない冠でしかないのだから、自分の正直な気持ちを踏みにじるようなことはしないことを望む。それに、留学して苦労し、一生懸命勉強したからこそ勝ち得た学位は、どこか「自信」として残るものだ。私は、その自信こそが留学での価値の最大のものだと思う。これからの人生、堪えがたい苦労でも、自分に自信さえあれば、乗り越えられるものだからね。

私は、神様ってそんなところを見てくれていると思っている。

それから、彼女によれば「パスポートでさえ作れる」とのこと….。私が留学していた当時、悪い留学生の間では、お金がなくなったら自分のパスポートを売ると$1,000くらいにはなる…、なんて話しがあったくらいだから、『偽物の卒業証書』なんて作ることは大したことないはないのだろう。

たしかに、裏の世界では日本のパスポートは高く売れるそうだ。
でも、自分のパスポートが他の誰かに使われて、そいつが国際テロリストだったりしたら、悔いが残るからね。そんな話を耳にしても、絶対にその甘い言葉に乗せられないこと。私のいたころ、日本からの留学生の卒業率は、5%未満だったと新聞で読んだことがある。当時、1ドルが260円になり、一般の日本人でも比較的楽に留学ができるようになった走りだったから、有象無象の連中が大勢押し寄せていたからだとは思うけど、ちょっと寂しいと思った。この数字はね…。

大体、留学も3年目を過ぎると卒業できるかどうか、自己判断できるようになるけど、自分の学歴にウソまでついて生きて行くのはやめたい。評価してもらうのは、過去の歴史ではなく、「今、そして、これからの自分」だから….。それじゃ!(^^)v

[2000年8月3日発行]