コラム

第51話 気球の話

満一年の記念すべき号なので、今回は卒業式のときの思い出話しを書きたいと思います。

何度も書きましたが、私は優等生ではありませんでした。どちらかと言えば、やっと付いて行く程度の落ちこぼれギリギリ状態だったと思います。

ですから、頭の出来のそんなに良くない私にとっては、Graduationは本当に嬉しいイベントでした。

卒業式の終わった後に友人が撮ってくれた写真を見ると、これこそ「満面の笑顔」といった顔をして卒業証書を握り締めています。

卒業式の当日、普段はTシャツにジーンズ姿で通っていた大学も、この日だけはスーツにネクタイ姿で学校に行きました。

総務の人から一人一人名前を呼ばれ、手渡された「黒いガウンと、四角い帽子」。ビニール袋に入っていました。きっと他の人から見れば、私の顔は滑稽だったかもしれません。だって、嬉しさのあまり、口元がほころびっぱなしだったのですから….。おもむろにそのビニールを破り、体にあてたときの感激は忘れられません。

ただ、正直言って「ペラペラ」の生地だったので「もうちょっとしっかりした布にすればいいのに….」とは思いましたが、タダでもらったのですから、文句は言えません。

服を着てから、四角い帽子をかぶりました。
そこで、不具合が発生しました。実は、私は「絶壁の平面顔」でありまして、顔を前から見たときの幅と、横から見たときの幅を比較すると、断然前者の方が長いのですよね。平面カエルのピョン吉状態なのです。(^_^ゞ
(….知らない人も多いのだろうな~)

ですから、帽子が似合わないのですよね~。 (-.-;)
それに、どうしてもその四角い帽子が頭から滑り落ちてしまうのです。ちょっと困り果てていた私に、前方にいた美人の女性がピン止めを2本くれて、一件落着。優しい女性にめぐり合えて本当によかった。これも、神のご加護か?などと思いながら、学長が私の名前を呼ぶのを待っていました。

卒業証書を受け取るとき、カメラマンが失敗して、フラッシュが焚かれず真っ黒な写真にはなってしまいましたが、記念写真、しっかりと学長の手を握り締めた私は、やっぱり最高の笑顔でありました。(^_^)V

さて、卒業生全員に卒業証書が手渡された後、全員が着席し、ホールでは学長の話しが始まりました。実は、学長の顔を「ナマ」で見たのはそのときが初めて、ましてや話しを聞くのも初めてでした。

普段なら聞き流すのでしょうが、自分の卒業式の話しです。一生に一度ですから、真剣に話しを聞きました。

さすがにアメリカの大学。学長も非常にフレンドリーな感じで、巣立って行く私たちに元気を与えてくれる素晴らしい話しだったと記憶しています。

その中で、未だに忘れられない話が一つあります。
それは、「気球の話」です。

学長は、その卒業式の前の週にどこかのイベントに招待されて気球に乗るチャンスがあったそうです。子供たちが乗りたがっているのを横目で見て….などと、冗談を入れながら、学長が気球に乗りこんだときの話しを嬉しそうに話し始めました。

暖かい空気を含んだ気球は、ゆっくりと静かに浮き上がり、そのカゴの中で学長は興奮しながら、外の眺めを楽しんだそうです。

徐々に浮き上がって行くと、当たり前なのですが、だんだん風景が変わっていきます。どんどん遠くが見えてきます。そして、地上では気が付かなかった地形の様子も良く分かったそうです。

その様子を楽しげに話した学長が最後に私たちに言った一言。

君たちも、高いところから物事を見るようになりなさい。
少しでも高いところに自分を置くことで、全体像が把握でき、いろいろなものが見えてきて、道も開けてくる。

私は、身震いするほど感激しました。

道に迷ったとき、問題を抱えたとき、地上にいる私の視界からではなく、気球に乗った気持ちで高いところから眺めて見ると、不思議と気持ちも落ち着き、解決の糸口にもめぐり合えるものです。

必死になって生存競争に勝ち残る….なんてことではないのですよね。
上に上がるにしても、暖かな空気の力だけで上がるとても自然な乗り物、「気球」のように自然な気持ちを大切にし、奢ることなく高い視点から人を包み込むような人間になりたい。

私は強くそう感じました。

満員電車に揺られ、人ごみの中、殺伐とした気持ちになったら、是非試してみてください。目をつぶり、大きな気球を膨らませ、す~と浮き上がる自分を想像する。カゴの中から、遠くを眺め、下を見下ろし、大地を抱え込む。

きっと、心にゆとりと安らぎが生まれ、実は自分の周りにいる人たちは、「人ごみ」なんてゴミではなく、とても優しい心の持ち主の人達であることに気が付くでしょう。

さて、明日も一緒に頑張りましょうね!!

それじゃ!

 [2000年9月28日発行]