第37話 うそはいけない!
私は、世の中には絶対「神様」がいると信じている。
特に宗教を信じているという訳ではないが、よく出来ているもので、誠実に努力している人は必ず報われるし、逆に怠惰な生活をおくっている人には、それなりの天罰が下される。私はそれを身をもって経験した。
そう、天国と地獄(f^^;)の両方を留学で経験したような気がしている。
おっと、天国と地獄ではなく、地獄と天国の間違いだね。だって、一度は最低の成績(地獄)に落ちて、その後は幸運にも良い友人に恵まれてなんとか卒業すること(天国)ができたのだからね。今回はその「天罰」の恐ろしさを皆さんに伝えたいと思う。
以前のメールマガジンでも何度か書いたように、私は転校をしている。
ご存知のように、アメリカの大学では、ある程度の成績さえ取っていれば転校が可能だ。
転校するまでに至った経緯は、また別の機会に紹介したいと思っているが、ひどい生活をしていた。お恥ずかしい話、完璧なダメ留学生となっていた。転校する前の怠惰な生活は、まるで「ぬるま湯につかって一日中酒でも飲んでいるような状況」だった。気力がなく、授業に出るのもイヤイヤで、留学前の意気込みは一体どこへ行ってしまったのだろう?と思えるほど、集中力に欠け、まったく勉強する気にならなかった。一日中ダラダラと時間ばかりを費やしていた。
そのため、英語力に関係のない数学(算数に近いかな?)のクラス以外はなんとか”C”が取れれば良い方で、成績はひどいものだった。転校する前の大学で取った最後の学期では、これ以上悪い成績を取るわけにも行かないと思い、なるべく簡単なクラスを取ることにした。それは、日本の歴史も含まれているという理由で「東洋史」、そしてアメリカ人にとってもハンディのある外国語「スペイン語」、そして意味もわからず興味のあった「政治経済」の3科目のクラスだ。
しかし、政治経済のクラスはめちゃくちゃ難しく、アメリカの歴史背景や、人種差別関連の事件等を知らないと、英語も難しい上、全く意味不明状態だった。そのため、途中でついていけずドロップアウト。結局、残りの2科目だけのクラスを取ることとなってしまった。
寝床は、大学の敷地内にある寮だったため、幸運なことに(?)ぎりぎりまで寝ることができた。しかし、人間怠惰になると、とことん「ダメ人間」になるようで、結局しょっちゅう遅刻をすることになってしまった。なんせ、初めの授業が8時から始まるのだから、…などと、言い訳を言っても仕方がない。
8時からのクラスは「スペイン語」。そして、続いて9時からのクラスは「東洋史」だった。一日の授業は結局、毎日10時ですべて終了。しかし、その後、何をして時間をつぶしていたのか記憶にない。(勉強もせずに一体何をしていたのだろう?….あんまり思い出したくもないが….。(^^;))
朝平気で7:45くらいまで寝ていたのだから、頭ぼさぼさ、ヒゲぼうぼう、もちろん歯なんて磨く時間なんてない。そのため、なんと始めの1ヶ月で、すでにスペイン語のクラスでは遅刻常習犯となってしまっていた。そのクラスは、遅刻3回で成績一ランクダウン。欠席3回で”F”。(厳しい!)
学期の最後の頃には、既に遅刻3回、欠席も一、二回していたため、私は崖っぷちに立たされていた。しかも、スペイン語なんて頭に全然入ってこない。勉強する意思がないんだから当たり前なのだが、クラスでも居眠り。最悪だった。そして、決定的な朝がやってきた。
な、なんと私は睡魔に負けてその日のスペイン語のクラスを無断欠席してしまったのだ!
これでついに、御陀仏!成績は”F”確定!
さすがの「ダメ男」の私も、そのときばかりはショックだった。時計を見ると既に8時過ぎだったことに気がついた瞬間、目の前が真っ暗になったことを覚えている。でも、そのときに悪魔の声が私の耳元にささやいた。
先生に「うそ」をついて、この場をしのげばなんとかなる….。
自分の恥じをさらすのはイヤなものだが、無断欠席の上にウソの上塗りをすることを決めたのだった。普段はボ~としていた私も、ウソを考えようと思った瞬間、頭はフル回転。何か良い言い訳はないかと考えた、すると、たまたま、丁度その週末に友達の結婚式があったのを思い出した。そう、前々回のメールマガジンで書いた「ブレンダ」の結婚式があったのだ。そうだ!これを使えば良い!!
私は、ブレンダの実家が学校から車で一時間ほどのところにあることを思い出し、その日の前日(日曜日)に彼女の町の教会で結婚式のリハーサルの手伝いをしていたが、車の調子が突然悪くなって帰ってくることが出来なくなったという言い訳を考えたのだ。無断欠席をした翌日に、先生のところに行き、私は上に書いたような言い訳を言葉巧みに(?)でっち上げ、先生から「特赦」を取り付けることに成功した。(^^;)
さすがの私も、それからは、とにかくクラスにだけは遅刻をしないように、せっせと通うようにした。しかし、頭の中は結局以前同様。目は開いているが脳みそは、手入れのされていない『ぬかみそ』状態だった。(きっと、頭をかち割ったら、悪臭を漂わせていたかもしれない。(f^^;))そのため、期末試験なんて、絶対にパスすることなんてできる訳がない。
期末試験の前夜、私はスペイン語の教科書と悪戦苦闘して、とにかく暗記しようとしたのだが、一度退化してしまった記憶力は戻ってこなかった…。と、いうよりも全く覚える気持ちが起こらなかったという方が正しかもしれない。約50例文を全部覚えなければならないのに、一つも覚えられなかった。しかし、明日は試験の日….。
そのため、私はその夜、日本でもしたことのない「カンニングペーパー」を作成した。(+_+) 消しゴムをくり貫き、そのスペースに入る約1mもの巻物を作成。そこに、すべての例文を書き込み虫ピンを2本使って上下に進めることのできる「傑作」を作成した。完璧な出来だった。われながらこんな才能があるのかと思ったほどだった。(f^^;) 手の中にすっぽり入り、周りからは全く何が起こっているのか分からない「優れもの」だった。
さて、試験当日。
遅刻もせず、私は試験を受けるためにクラスに足を運び、何食わぬ顔で試験を受けた。もちろん、私の左手の中には昨夜作成した「カンニングマシン」があったことは言うまでもない。まったく先生にも、周りのクラスメートにも気がつかれることなく、私は完璧な回答を提出することができた。カンニングペーパーの記入ミスがない限り、多分100点を取っていたと思われる。定刻の時間がやってきて試験会場を出たときに、私は自分のやったことの罪の重さに苛まれつつ、そのカンニングマシンの証拠隠滅に走った。車を走らせ、近くの湖に行き、思いっきり遠くにそのカンニングマシン投げ、湖中深くに沈めた。
これで、試験は完璧だ!多分”B”が取れる。とにかく自分のやったことなどさておき、単位が取れると私は喜んでいた。…しかし、結果は”F”だった。
カンニングは完璧だったはず、しかし何故”F”だったのか….。
その理由を、私は期せずして察知していた。そのため、先生のところには文句を言いに行かなかった。それは、こういうことだった….。試験の数日前、そのスペイン語のクラスの後にとっていた東洋史の先生から、こんな話しを私は聞いた。「この間、君の取っているスペイン語の先生から電話が掛かってきてね。○月○日の授業に君が出席していたか?って聞いてきたんだが、どうしてなんだろう?」という一言だった。
私は、東洋史の先生に「なんでなんでしょうね?」と、とぼけて見せたのだが、悪い予感がしたのだった。そう、スペイン語の先生は、ブレンダの結婚式のリハーサルのために出席できなかったと言ってスペイン語のクラスを休んだ日のことを、調べていたのだ。実は、その日、スペイン語のクラスは休んでも、次の東洋史のクラスには出席していた。つまり、もしも私が本当に結婚式のリハーサルのために欠席せざるをえなかったのなら、次の東洋史のクラスも絶対に休んでいるはず。しかし、私は東洋史のクラスには出席をしていた….。言わんや、それは私が「うそ」をついていたことを証明したことになるのだ。
しかし、そのスペイン語の先生は、偉かった。
東洋史の先生の話しっぷりからすると、電話でその質問を受けたのは、多分1ヶ月ほど前。その時点で、私が「うそ」をついていたことをスペイン語の先生は知っていたことになる。しかし、スペイン語の先生はそれを黙っていた。クラスでさえ、全くその素振りを見せなかった。きっとその先生は、期末試験でどんなに良い成績を取ろうが、私に”F”をくれるつもりだったに違いない。そして、先生はそれを実行した。「ウソの報いだ」。
私は、完璧に敗北を感じた。それは、先生に対してではなく、自分の愚かさにだ。そして、自分の行動を恥じた。心の底から反省した。そして同時に、スペイン語の先生に感謝した。なぜなら、もしもそのスペイン語のクラスをパスしていたら、きっとこの「うそ」「カンニング」の癖は一生続き、努力する大切さを忘れさせられたかもしれないからだ。
確かに、その学期はめちゃくちゃな成績が残ったけど、(ちなみに、東洋史は“D”だったので、結果最悪の”F”,”F”,”D”となったことになる(f^^;))しかし、とても良い教訓をこの先生から学ぶことができたと思った。その出来事をきっかけに、私は自分の道を探しに転校へと一気に行動を起こすことになった。そして、今までと全く違った道を自分で切り開いた。だから、この章の冒頭に書いたように、絶対に神様はいる。そして、どんなことがあっても神様は反省し、改心しさえすれば、絶対に私たちのことを見捨てることはないと、つくづく感じる。
こころを清くして、自分のしていることに自信がもてるようにさえしていれば、神様は必ず進むべき道を準備してくれる。そして、どんなにそれが厳しい道だとしても、目的点に到達するための力も与えてくれる、自分の体験を通して、本当にそう思う。そんじゃ!(^^)
[2000年6月22日発行]