コラム

第79話 お世話になりました(その3)

夏のニューヨークは暑く、エアコンのついていない車を運転するのは結構しんどいものがありました。しかし、私は窓を開けて車を運転することが出来ず、汗だくになっていました。それは、渋滞に巻き込まれている間、強盗にでも襲われたら大変だ!と思っていたからです。(^^;)

今になって思えば、高級車が周りにはたくさん走っているわけです。
中古のそれも、塗装がはがれかけているような「ねずみ色」のカローラのことを誰が狙うのでしょう….。しかし、田舎者の私にとっては、初めてニューヨークを訪れた冬と同じ気持ちで、とてもデンジャラスな場所だったのです。

…..。

脳天気な私も、さすがに躊躇しながらビルの中に入ました。そして、一路エレベータへ。名刺片手に、フロアのボタンを押し、エレベータを上りました。天井の高いエレベータには私一人。

「チーン」

不思議なもので、緊張しているとエレベータの音はとても大きく聞こえます。(^^;)「やっぱり、事前に電話でも入れておくべきだったかな…」などと躊躇している自分がそこにはいました。

そして、田舎者の私は心の中で、「すっげ~…!こんなすごいビルにオフィースを構えているなんて…」と思っていました。

フロアにはたくさんのオフィースがあり、すべて扉は白く塗装がされていました。大きな鉄の扉です。扉の前に立った私は、多少おどおどしてはいましたが、「どうせここまで来たんだから…」と半分投げやりに扉をノックしました。

中で声が聞こえました。日本語で「どうぞ~」です。(^^;)
「アレ?日本人?!」と思い扉を開けると、中では日本人の方が3名働いていました。

窓の外には、五番街をはさんで隣のビルが見え、大都会ニューヨークの「ど真ん中」にあるオフィースといった雰囲気が感じられました。

そそくさと自己紹介をし、社長さんはいらっしゃいますか?と尋ねたところ、あと一時間ほどで来るからとの返事をもらい、応接間で待つことになりました。

周りをキョロキョロ見ながら、大ニューヨークの一流オフィースに「短パンにTシャツ」姿、そしてサンダル履きの私は、完璧に場違いでした。白い時間が過ぎていく中「もう少しまともなカッコをして
くれば良かった…」と反省しっぱなし。

一時間もせずに社長さんは戻ってこられました。入ってくるなり、「お~、君か!」とニコニコしながら私に声を掛けてくれました。
とても温和な感じの方で、私は再び正式に挨拶と自己紹介をし、不躾にお手紙を送ったことに対してお詫びを言い、また夏休みの間お世話になりたい旨話をしました。

すると、社長さんは「あんまりアルバイト代は出せないけど、それでもよかったら、会社の手伝いをしてくれるかな?」と言ってくれました。もちろん、願ってもないお話!私は即「よろしくおねがいします!」と返事をしました。

しかし、住むところがありません。
社長さんは、「自分の家はニュージャージーにあって遠いから、一緒に通うのはちょっと無理がある。一人暮らしの友達の家に泊めてもらえるように頼んでみるから....」と言ってくれました。

なんとも、ありがたいお話!!
とんとん拍子で話が進む中で、私はとてもうれしくなっていました。

その上、社長さんは「いずれにせよ明日から週末だから、まずは、私の家で少し休んでいるといい」と言ってくれました。

感激!…本当に大感激でした!

こうやって3日ほど、私は社長さんのニュージャージ州にある家に泊めさせてもらいました。大きなジャグジーのあるお風呂と、広々としたリビング、その上とても庭が広く、ゴルフ場にあるような乗りなが
ら走るエンジン付きの芝刈り機がありました。そして、夜になるとたくさんの蛍が庭を飛んでいたのを覚えています。

もちろん、ご家族の方達もとても私のことを暖かく迎えてくれ、ほとんど滞在中「ありがとうございます」とお礼を言い続けていました。

突然押しかけた、全くの赤の他人の私に対して、本当に良くして頂きました。

あと、当時田舎のジョージア州では見ることが出来ませんでしたが、ニューヨークエリアには日本人が沢山いるため、日曜日の夜に日本の番組を見ることができました。NHKの大河ドラマの「徳川家康」がやっておりインターネットのない時代、アメリカにいながら日本の情報に触れられる贅沢。とても優雅な気分にさせてもらいました。

楽しい週末が過ぎ、週明けに、私はその社長のご友人の方に、社長に付き添われ会いに行きました。

場所は、クイーンズ地区。いかにも、ニューヨークっと言った感じの「ちょっと夜、外を一人で歩くのは怖いかな~」といったに雰囲気のエリアにアパートはありました。特に危険地帯ではないのですが、私はそんな風に感じていました。

社長さんは、事前に私のこと電話で話してくれたのですが、突然の依頼に彼もとまどったのでしょう。私の顔を見ながら多少怪訝そうな目で話していました。

しかし、友達の依頼を断ることができないと思ったのでしょう。もしくは、貧乏留学生の私がかわいそうと感じたためかもしれませんが、アパート代と光熱費の半分を私が持つことを条件に、彼の家に「居候」することを許可してくれました。
<続く>

それじゃ、また!

​[2001年12月13日発行]