コミュニケーションの断絶と死
コロナで自粛を求められたこのお盆休み。たまたま付けたテレビでお医者さ
んたちの怖い話をやっていました。ちょっとしか見なかったので、誤りがあ
るかもしれませんが、その一つに「人間は何語を話すか?」というのがあり
ました。
猫はニャー、犬はワンワンと、誰にも教わることなく言葉(?)を話しますが、
動物としての「人間」本来の言葉とはどういうものかという研究がある
(あった?)そうです。
その実験は酷いものです。
なんと、身寄りのない赤ちゃんたちに言語でのコミュニケーションを一切し
ないで、どのような言葉を話すのかを調べたという、とんでもない人体実験
です。
そのテレビでは、どんな言葉を発したのかの説明はなかったのですが、悲し
いことにその被験者の赤ちゃんたちは全員2年以内に亡くなったと話してい
ました。
科学的な見地ではありませんが、人という動物はコミュニケーションという
インプットがないと、脳に栄養がいかないように、バランスを崩し、生命さ
え維持できないのではないかと感じました。
因みに、私たち日本人は、なぜ『コミュニケーション: communication』とい
う外来語を使っているのでしょう?それに該当する適当な言葉がなかったか
らだと考えられますが、日本人にはそのような概念がなかったとは考えずら
いと思いませんか?
辞書によると、
>>コミュニケーションとは、「伝達」「通信」「意思疎通」
>>などの意味の表現。「交流を図る」「意思を伝え合う」
>>といった行動を指す意味合いで用いられることも多い。
>>言葉を使った意思疎通だけでなく、文字を使った伝達、
>>身振り手振りによる意思表示などもコミュニケーション
>>に該当する。
となっています。
また別の話ですが、英語の教師をしていた夏目漱石が ”I love you.” を、
「我君を愛す」と訳した教え子に対して、「月が綺麗ですね」とでも訳して
おきなさい。…といったという逸話が残っていますが、当時の日本人に
誰かを愛する気持ちがなかったのかというと、そんなはずはありません。
つまり、日本人には日本人なりのCommunication,Loveが存在しているが、
言葉にする必要さえない「私たちの一部」のような気がします。
江戸時代的な表現をすれば、外国人は「異人」です。そして、未だに私たち
日本人は外国の人たちを「異人」的な目で見るがために、Communicationな
どという言葉を使う必要があるのだと思うのです。
私たち日本人の持っている「本来の形」で外国の人と接していれば、
Communicationという言葉を超えて繋がることができるような気がします。
それにしても、科学とはときに残酷なことをするものですね。
言葉さえ発することのできなかった悲しい赤ちゃんたちに、心からご冥福を
祈りたいと思います。
異文化コミュニケーション研究所(R)
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